モスフードサービス会長の櫻田厚氏(撮影/宮崎訓幸)
創業以来変わらないモスグループの原点とは?
ハンバーガーチェーン大手のモスフードサービスは1972年に創業、昨年が50周年だったが、その頃から、創業者の甥にあたる櫻田厚会長はある思いを強くしていたという。
櫻田 厚/モスフードサービス会長1951年11月生まれ、東京都出身。1972年に叔父(創業者・櫻田慧氏)の誘いで「モスバーガー」創業に参画。直営店勤務を経て、教育・営業等を担当。1990年には海外事業部長として台湾へ赴任、アジア進出の礎をつくる。その後、1994年6月取締役海外事業部長、1996年2月取締役海外営業部長、1997年取締役東日本営業部長を歴任し、1998年12月代表取締役社長に就任。2014年4月より代表取締役 取締役会長 兼 取締役会長、2016年6月代表取締役会長に就任。日本フランチャイズチェーン協会会長(2011年~2013年)や日本フードサービス協会会長(2014年~2016年)なども務めた。
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「節目の年に際して、これから先の50年も企業文化を風化させてはいけないという問題意識がすごくありました。当社では経営理念、創業の心、基本方針、経営ビジョンの4層の指針から構成する“モスの心”を定めているのですが、リーダーが範を示し続けていかなければ形骸化してしまいますから」
“モスの心”は、まず「人間貢献・社会貢献」を経営理念とし、「感謝される仕事をしよう」が創業の心で、「食を通じて人を幸せにすること」を経営ビジョンと定めている。そして時代がどのように変化しようとも、モスフードサービスの役員、幹部、社員にとどまらず、店舗スタッフも含めて共有すべきものが基本方針だ。
同方針では、「お店全体が善意に満ちあふれ 誰に接しても親切で優しく 明るく朗らかでキビキビした行動 清潔な店と人柄 そういうお店でありたい 『心のやすらぎ』 『ほのぼのとした暖かさ』を感じて頂くために努力しよう」という指針が示されている。
また、MOSはMOUNTAIN(山)、OCEAN(海)、SUN(太陽)の頭文字から取ったもので、創業者の櫻田慧氏(故人)は、「山のように気高く堂々と、海のように深く広い心で、太陽のように燃え尽きることのない情熱を持って」という思いを込めて名付けたという。
「“モスの心”は、どんな時も人への感謝の気持ちを忘れないことを基本に、人として誠実さや素直さ、謙虚さや優しさ、暖かさを併せ持つということ。そこが如実に表れるのが一店一店のお店です。たとえばお客さまが『モスは他のハンバーガーチェーン以上に暖かみを感じる』とおっしゃるのは、お店のスタッフ一人一人が“モスの心”を持っていなければそうした評価はいただけません。
もちろん企業ですから効率性や生産性を高めることも重要で、SDGsやコンプライアンス、コーポレートガバナンス等々、企業の責任事項も多々あります。ただ、そこにばかり目が行き過ぎてしまってはいけない。社会的責任の前提としてまず、“モスの心”で記しているような企業文化が根付いているかどうかが重要ですから」(櫻田氏)
企業文化伝承のために開講した「櫻田塾」真の狙い
創業50年ともなれば、モスフードサービスの創成期を知る社員のリタイアも増えてくる。そこでコロナ禍前の2019年度からスタートしたのが、次世代に残すべき企業文化を語る機会として創設された「櫻田塾」(主に直営店舗社員が対象)だ。
同塾は小冊子や書籍といった活字ベースではなく、櫻田氏の肉声を通して企業文化伝承の重要性やコミュニケーション、パッションリーダーの育成、社員のモチベーションアップなどを目的にしている。
モスバーガーの店舗
「櫻田塾」は初年度は合宿形式で始動したものの、第1回開催の矢先にコロナ禍となり、その後はオンライン形式に転換。それでも2020年度に6回、2021年度は15回、そして昨年2022年度は対面形式も含めて16回開催し、店舗社員を中心に聴講者は計400名を超えた。
また、「櫻田塾」と同じ主旨で「あつしが語る」と題したオンライン講義(本部と直営店舗の社員が対象)もあり、こちらも2021年度に5回、2022年度に6回実施し、オンデマンドも含めると2500名を超える聴講者があったという。

「どのような経緯でモスは生まれたのか、モスが大事にしてきたことは何なのか、感謝される仕事や『人間貢献・社会貢献』という経営理念はどういうことなのか、などについて話すわけですが、ポイントは私が社員に向けて喋ることが目的ではないという点です。
大事なのは、社員が話を聞いてどう受け止めたか。そして、自分自身の言葉でこういうことだと説明ができるかどうかなのです。話を咀嚼して、具体的に自分の言葉で話すことができないと、企業文化と言ったところで絵に描いた餅で、話した言葉だけを覚えている人ばかりになってしまいますから」(櫻田氏)
「完全引退」を決意した自身の原体験
櫻田氏が“モスの心”の伝承を強く意識したのは、自身の原体験にも起因しているようだ。
1つは、前述した創業者の慧氏が、1997年に60歳の若さで急逝してしまったこと。創業者の突然の死で社内は一気に不安が広がった。この不安を終息させる形で、翌1998年、トップに就任したのが慧氏の甥である厚氏だった。もう1つが、厚氏も17歳の時に父親を亡くしていること。多感な時期に突如、一家の大黒柱を失ったのだから動揺も大きかった。
「特に創業者の死に向き合ったことで、私もトップを務めている間に、もし万一のことがあれば同じような混乱を招いてしまいます。企業ですからもちろん業績も大事なのですが、もっと大事なことは何かを考えるようになりました。それが“モスの心”をきちんと伝え続けていくことです」(櫻田氏)
「おいしさ」の原点である”モスバーガー”(写真はセットメニュー)
厚氏は社長在任中、高級バーガーの「ニッポンのバーガー匠味」や「とびきりハンバーグサンド」シリーズを世に送り出し、店の看板もそれまでの赤から、健康や食の安全を意識した緑色を基調とした店舗へと改装を進めた。“モスの心”と同様に重要な、モスの存在意義や独自価値についてこう語る。
「我々は、規模で一番のチェーンを目指しているわけではありません。これからも絶対に外してはいけないのは、マーケティング的に言えば自分たちのドメイン、事業領域はどこなのかを見失わないことです。
どの業界にも必ずリーダー企業がいて、次いでチャレンジャーやフォロワー、ニッチャーがいる。モスはニッチャーであり、ほかのチェーンでは絶対に出せない商品を出し、わかりやすく打ち出していかないといけません。尖っているところがなくなってくると面白くない。そこが今後の大きな課題かもしれないですね」(櫻田氏)

昨年10月19日。モスフードサービスの創業50周年の感謝の集いをホテルで開催した際、櫻田氏は締めの挨拶で登壇し、会場にいた全社員が一様に驚きの声を上げた「決意表明」をしていた。
その内容は、2023年6月末の株主総会をもって会長を退任し、相談役や顧問にも就かずに“完全引退”するという衝撃的なものだった。櫻田氏は創業時より経営に参画してきた会長であり、まだ71歳。誰もが引退など考えもしなかっただろう。
櫻田氏には子息がいるが、大手食品メーカーに勤め、モスフードサービスには櫻田ファミリーの社員は1人もおらず、同氏が所有する同社の持ち株も1%に満たないという。まさに鮮やかな引退というべきだが、櫻田氏は心情をこう打ち明ける。
「私は創業者ではありませんし、“みんなの会社”が自分の勝手な理想でもありました。同族という意味ではなく、本当の意味でのファミリー企業、ファミリービジネス、ファミリーチェーンというものを、風化させないでどう継続していくか。そこがこれからの大きなテーマだと思っています」
「物言う株主」に翻弄されない強固な経営基盤
また、会社は誰のものかといった議論についても、櫻田氏の見解は次のように明快だ。
「株主、社員、お客さま、フランチャイズ加盟店、お取引先、地域社会など、様々なステークホルダーがいますが、最も優先順位が高いのは社員です。モスフードサービスという会社で仕事ができることが幸せ──社員の家族まで含めてそう思ってくれるようにするのがトップの責務だと考えます。その次が、社員同様に大事にしているフランチャイズの加盟店ですね」
モスグループは創業以来「人間貢献・社会貢献」という経営理念のもと、「食を通じて人を幸せにすること」という経営ビジョンを掲げている
ちなみに、モスの株主構成は持ち株の50%強が個人株主だ。
「株主イコール、モスのお店に来てくださるお客さま。株主総会でも議案に関する質問は少なく、お店の接客サービスについてなど、お客さま目線に沿った質問ばかりです。その激励や疑問にお応えしていくことが、結果的に株主のためにもなるのです」(櫻田氏)
近年は物言う株主、あるいはアクティビストという呼ばれ方で、主に外資系ファンドが株主提案する企業も散見されるが、多くの独立した加盟店オーナーがいるフランチャイズチェーンの企業は、そもそも企業買収案や株主提案は通りにくい。
加えて、モスの場合は加盟店オーナーで構成する「共栄会」の結束力がほかのフランチャイズチェーンに比べてことのほか強いため、創業家の櫻田氏がモスを卒業することになっても、こうした外圧リスクに晒されることは少なそうだ。
企業の枠を飛び越えて今後も続く櫻田氏の「伝道師活動」
前述した「櫻田塾」や「あつしが語る」といった、モスの歴史や思いを伝える伝道師活動は、櫻田氏が退任する7月以降はビジネス界にとどまらず、スポーツや文化といったジャンルも含め、広くアドバイザー的な仕事で生かしていくという。IT系のスタートアップ企業にも櫻田氏を慕う若手の起業家は数多く、同氏の人望の厚さや人脈の広さが窺える。
「企業が存続するためには何が不可欠なのか、実際に経営をやってきた私に聞きたいというニーズがすごくあるのを感じています。モスで学んだ財産はモスの中だけではなく、また若者だけに限らず、いろいろなことで悩んだりきっかけが掴めなかったりという方々がたくさんいらっしゃるので、何かヒントになるアドバイスができたらと考えています」(櫻田氏)
“モスの心”のうち、「人間貢献・社会貢献」の経営理念や「感謝される仕事をしよう」に込めた創業の心は、どの業種業界であっても普遍性があるもの。それだけに、櫻田氏の今夏以降のアドバイザリー的な活動は、モスフードサービスという一企業の枠を飛び越え、広く社会に啓蒙されていくことになりそうだ。


