2018年に誕生した卓球のプロリーグ「Tリーグ」。立ち上げの中心にいたのは、日本初のプロ卓球選手である松下浩二氏だった。賛同者が決して多いとは言えない中、なぜ新リーグ創設を目指したのか。日本卓球界初のプロ契約とTリーグ創設という2つのチャレンジを成し遂げた松下氏に、変革に挑む思考法を聞いた。
シリーズ「スポーツに学ぶ『変革の流儀』」
スポーツ界において、新たな挑戦をつづける人々、組織や競技の変革に取り組む人々が、自身の経験を通じて培ったリーダー論、人材育成論、組織論などを語るシリーズ。
■「どんな結果でも批判は必ずある」高校野球の変革に挑む慶應・森林監督の信念
■「俺のおかげ」とはまるで逆、慶應高野球部・森林監督が語る選手との対話術
■「中国にどう勝つか?」Tリーグ創設の立役者・松下浩二氏が語る変革の思考法 ※本稿
「卓球は一流企業に入る手段」冷徹な自己分析
──松下さんは大学卒業後、3年ほどの実業団所属を経て、1993年にプロ転向しました。当時、日本で初めてのプロ卓球選手でしたよね。
松下浩二氏(以下敬称略) もともとプロになる気は全くなく、大学卒業後は良い企業に就職して、卓球ではなくビジネスで活躍したいと考えていました。卓球は「一流企業に就職する手段」として割り切っていたのです。学生時代に卓球で良い成績を残し、実業団選手として一流企業に就職、そこから会社員としてビジネスを頑張ろうと考えていました。本気で社長を目指そうと思っていたほどです。
実際に、大学を卒業した1990年には、実業団選手として協和発酵(現・協和キリン)に就職することができました。しかし、入社後は実業団の練習を定時以降に行い、日中は会社の業務に励んでいたのですが、それまでスポーツばかりやってきた自分は、意気込みはあってもビジネスの知識がありません。会議の内容は理解できないし、一つの業務をこなすにも先輩の何倍も時間がかかります。これは社長になるどころか出世もできないと感じたのです。
さらに、私より早く実業団に所属していた卓球の先輩を見ても、ビジネスで出世している人はなかなか見当たりませんでした。そこでスポーツばかりやってきた自分は、ビジネスの世界では太刀打ちできないのだと痛感し、非常に落ち込みました。プロ転向のアイデアが湧いてきたのはこの時です。