1205年(元久2)6月22日。鎌倉武士の鑑(かがみ)といわれた畠山重忠は、北条義時の率いる幕府軍によって、二俣川で討ち取られました。 この合戦については、幕府の正史として編まれた『吾妻鏡』という史料に、詳しく記されています。ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれた二俣川合戦も、この『吾妻鏡』の記載をベースにして、登場人物の関係や心理を掘り下げるように脚色されています。 でも、『吾妻鏡』の記述をよく読んでみると、いくつかの疑問が生じます。 たとえば、『吾妻鏡』によれば、北条時政は6月22日の朝、まず三浦義村に命じて畠山重保(しげやす・重忠の息子)を由比ヶ浜で討たせます。と同時に、御所の備えを固め、重