ティラワSEZに進出したRKヤンゴンスチール

 ラストフロンティアと呼ばれるミャンマーで、日緬両国が官民挙げて開発を進めるフラッグシッププロジェクト「ティラワSEZ」。その現場で奮闘する挑戦者たちの物語を紹介する。

鉄鋼商社の挑戦を率いる28歳

 「RKヤンゴンスチール」は、ベトナムやパキスタンなどアジア諸国に鉄を輸出してきた鉄鋼商社アール・ケイ(本社:大阪市)が、独資の工場としては海外で初めてミャンマーに設立したコイルセンターだ。

 鉄を薄く延ばして巨大なトイレットペーパー状に巻き取った重さ25トンの「コイル」を日本からミャンマーに運び込み、鉄板を製造して切断加工を行っている。

 ミャンマーでは、2011年に民政移管が実現し、欧米諸国の経済制裁が解除されて以来、インフラ施設の整備や高層ビルの建設に必要な鉄の需要が伸びつつある。

 今後、さらなる需要を掘り起こし、本格的にミャンマー市場を開拓する拠点として重要な役割が課せられたこの現場を率いるのは、ファクトリーマネジャーの笠原啓司さんだ。

 弱冠28歳。大学時代は経済学を専攻し、海外で働きたいという理由から商社を志した。

 アール・ケイに入社を決めた理由は、面接試験で「若いうちから何でも経験させてやる」と言われたからだという。

 入社2年目の2014年からは出張ベースでティラワに通い始め、通常の輸出入業務に加え、RKヤンゴンスチールの登記関連手続きや、工場建設に向けた入札業務に奔走してきた。

 当時は、ティラワSEZの「売り」と言うべき「ワンストップサービスセンター」、すなわち操業に向けた諸手続きを一元的に扱う総合窓口もまだ立ち上げられいなかった。

 そのため、すべて手探りで進めざるを得ず、2015年3月に投資認可を取得した時には心底ほっとしたという。

 1年後、工場棟が建設されたのを受けて駐在を開始。機材の据え付けからスタッフの採用までこなしたうえで、2016年9月に操業開始にこぎ着けた。現在の取引相手は9割がミャンマーの地元企業だ。

軍政時代も続けた取引

 RKヤンゴンスチールの本社であるアール・ケイとミャンマーの縁は、20年以上にわたる。

 軍政時代も、日本をはじめ海外企業が次々に撤退を余儀なくされるのを横目に日本からヤンゴン港まで鉄鋼を運搬し、通関や国内輸送は地元企業に委ねる「CIF方式」によってミャンマーとの取引を続けてきた。

 そのアール・ケイにとって、いずれミャンマーに拠点を開設したいというのは、長年温めてきた悲願だった。

 2012年に米国のバラク・オバマ米大統領(当時)とテインセイン大統領(当時)の面会が実現し、日本が官民を挙げてティラワSEZの開発に協力することが決定されたのを機に、満を持してミャンマーで念願の製造業に乗り出すことを決断。

 地元企業を含め、本格的なコイルセンターを備えている企業は他になかったことが背中を押した。

他より一歩先に動く

 もちろん、不安は尽きなかった。最大の懸念は、鉄の使用量が少ないことだった。

 いくら市内のあちこちでコンドミニアムやホテルの新築が相次ぎ、以前に比べて需要が伸びているとはいっても、ミャンマーでは今なおほとんどの家屋が木造で、冷蔵庫やエアコンなどの家電製品もあまり普及していない。

 さらに、街中を走る自動車も、かつて海外から輸入された中古車がほとんどで、新車は近隣国で製造された車両を組み立てるノックダウンのみという状況を目の当たりにした笠原さん。

 鉄の需要は近隣国に比べるとかなり低いこの国で、鉄の製造や販売が商売として成り立つのは当分先のように思われた。

 それでも、かつて1990年代に、当時としてはいち早くベトナムに進出し、販売拠点を開設した時と同じように、まだ市場が成熟していない今の段階からミャンマーで足場を固めるというのは、同社らしい戦略だと言えよう。

 「最初の数年は苦労するでしょうが、他より一歩先に動くのがアール・ケイのポリシーなのです」と、笑いながらこともなげに言う笠原さんは、意外なほど落ち着き払っている。

 さらに、取引先の9割がミャンマー企業であるRKヤンゴンスチールにとって、現地に大量に出回る安価な中国製鋼材との競争も避けては通れない切実な問題だ。

 地元企業の多くは品質の高さより安さを重視する傾向にあり、なかなか長期的な視野で選んでもらいづらいためだ。

 それでも笠原さんは、「うちはコイルから必要な長さを引き出して切り取るため、定尺ではなく、客のニーズに応じてサイズを変えられるうえ、小ロットでも対応できるのが強み」だと胸を張る。

 このほかにも、加工・製造プロセスが徹底管理されてトレーサビリティーがあるため、購入後に改めて品質やサイズを検査する必要がないという。

 加工性に優れている点など、自分たちの製品の特長について、実際に取引先を回るミャンマー人スタッフたちにしっかり理解させ、彼ら自身の口で中国製鋼材との違いを説明させることによって、丁寧かつ着実な営業を図っている。

南アジアやアフリカ市場も視野に

 商社として、主に東南アジア諸国への鉄鋼輸出を手掛けてきたアール・ケイにとって、このティラワのコイルセンターは、製造業という新規事業への挑戦の舞台だと言える。

 それでも、入社2年目からその最前線に立ってきた笠原さんは、意外なほど肩に力が入っておらず、自然体だ。

 「会社の中で誰も工場を経験したことない以上、年齢は関係ありません。むしろ、吸収力や柔軟性がある分、若くて良かったのかもしれないですね」

 「工場を操業しながら会社を経営し、総務経理もこなすのは、確かに離れ業ではありますが、いたずらに気負えばできるというものでもありませんから」

 こう飄々と語ってみせる胆力には恐れ入る。

 「ミャンマーは雨期が長く、その間は鉄の需要も落ちるので、ゆくゆくはミャンマーを中継地点として、インドやバングラデシュ、さらにアフリカの市場にも出ていけたらいいですね」と夢を語る。

 その一方で、「まずは今できるベストを積み重ねていくだけです」と堅実な姿勢を崩さない笠原さん。

 当面は、3~5年かけてこのコイルセンターを安定稼働させ、足場を固めながらミャンマー国内の鉄需要の伸びを取り込み、向こう10年かけてRKヤンゴンスチールを拡大していく計画だという。

 日本企業の駐在員の中でも飛び抜けて若いリーダーが、大胆さと堅実さを両輪にこのティラワの地でどんな飛躍を見せてくれるのか、期待したい。