マドンナの衣装や映画の衣装も手掛けることで知られるフランスのファッションデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチエがファッション界で頭角を現した初期、彼を支えていた日本人女性がいた。日本でお針子をしていて、パリでキャリアを積み始めていた稲葉重子さんだ。ゴルチエの右腕となって働き、ゴルチエから独立してパリで自分のブランドを立ち上げ、遂にはコレクション(ファッションショー)の常連になるという大躍進を遂げた。