日本の絨毯生産の拠点の1つである山形県・山辺町は、かつて「山辺木綿」で知られる染織の町だった。江戸後期に始まって明治期には地場産業に育っていった。ところが昭和初期(1930年代初頭)、冷害凶作による大不況となり、子女が身売りを余儀なくされるほど深刻な事態になった。