世界で初めて『ユーロマネー』『ザ・バンカー』『グローバル・ファイナンス』の3誌から「世界のベストバンク」という称号を12カ月のうちに冠された銀行「DBS」。これは銀行界では、映画でいうアカデミー賞で「作品賞」「監督賞」「主演賞」の3つを同時受賞したに等しいともいわれる。顧客満足度最下位だったシンガポールの元政府系金融機関、DBS銀行(旧称:The Development Bank of Singapore)は、いかにして最先端のテック企業へと生まれ変わったのか?「世界最高のデジタル銀行」と称賛されるDBSの変革の軌跡から、DXを成功させるための教訓、ベストプラクティス、成功の秘訣を学ぶ。

(*)当連載は『DBS 世界最高のデジタル銀行:テクノロジー企業を目指した銀行の変革ジャーニー』(ロビン・スペキュランド著、上野 博訳/東洋経済新報社)から一部を抜粋・再編集したものです。

<連載ラインアップ>
■第1回 世界最高のデジタル銀行「DBS」の変革は、いかにして実現されたのか?(今回)
■第2回 DBSがデジタル主導銀行へと変革するために取り組んだ、4つの優先項目とは?
■第3回 DBSをDXで「世界最高のデジタル銀行」たらしめた、3つのシンプルな戦略原則


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ビーチに上がる鬨(とき)の声

 ピユシュ・グプタはタイのプーケット島でステージに上がり、彼が持っていたDBS銀行の新しいビジョンを披露した。それは2014年のことで、DBSのCEOである彼は、経営陣に一丸となって銀行の成功とは何かを認識させ、新しい戦略の立ち上げを加速させようとした。

DBS 世界最高のデジタル銀行
(東洋経済新報社)
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 ピユシュは2009年後半にグループCEOとしてDBSに参画した。2010年、彼と経営陣は、「新しいアジアで選ばれるアジアの銀行(The Asian Bank of Choice for the New Asia)」という新たな戦略を打ち出した。この5年戦略は、国内的あるいは国際的な主要行のどちらを目指すものでもなかった。と言うよりも、彼らが目指していたのは、国際的なバンキング基準で活動するために自らの水準を引き上げつつ、その2つの間にあるスイートスポットを占有することだった。

 プーケット島のビーチでのスピーチの冒頭、ピユシュは自分の指揮下でのDBS銀行の成功を振り返った。2014年には、同行はその主要目標を全て達成していた。すなわち、

1. 新しいアジアで選ばれるアジアの銀行に選出されること
2. 顧客サービスにおいてトップとなること
3. 先進テクノロジー分野でイノベーションの賞を獲得すること
4. アジアのソートリーダ(thought leader)として認められること

である。

 しかし、それは単なる始まりに過ぎなかった。ピユシュはアリババの当時のCEOであるジャック・マーと退任前に面会した。この1時間の面談を通して彼は心をかき立てられ、中国発のサイクロンが襲来して全てを破壊し、バンキングの方法を変革してしまう可能性があることを確信した。戦略面でデジタル勢力図が変化する中で競争するために、DBSには新しい戦略が必要だという考えが、彼の心の中に根付いた。