モーターレーシングとともに進化したタグ・ホイヤー
名機「カレラ」という名の語源となったレース「カレラ・パナメリカーナ・メキシコ」。イタリアのミッレミリアやタルガ・フローリオといったレースを手本に、1950年から大陸横断道路“パンアメリカンハイウェイ”のメキシコ・エリアの完成を記念して開催された公道レースである。
クロノグラフをベースに発展してきた
タグ・ホイヤーは、19世紀からクロノグラフをベースに発展してきたブランドである。来年160周年を迎えるその長い歴史は、スポーツウォッチの歴史ともいえる。なかでもモータースポーツとの関わりが深く、極限のスピードに対する計時を重ねることによって精度は高められていった。現在スポーツシーンで当たり前のように見られる1/10秒、1/100秒、1/1,000秒といった計時を世界で初めて成功させたのもタグ・ホイヤーである。
そんなタグ・ホイヤーにあって、レースに関わる最初のモデルが「カレラ」である。スペイン語で“コース”、”道”、”レース”等といった多様な意味を含むワードを意味するこの名は、1950年~54年に開催された「カレラ・パナメリカーナ・メキシコ」からインスパイアされた。
このレースは約3000kmのルートを5日間かけて走破する、当時“世界でもっとも過酷なレース”と呼ばれていた。4代目社長(現・名誉会長)ジャック・ホイヤーは、そのレースで起こったさまざまなことを聞かされ、イマジネーションを膨らませていく。また、“カレラ”という語感にも惹かれていくのである。自らレーサーでもあったジャック・ホイヤーは、レースでの経験を注ぎ込み、高い視認性、耐衝撃性、優れた防水構造を備えたクロノグラフモデルを完成させるのだ。
そして1969年を迎え、タグ・ホイヤーは最高峰レース「フォーミュラー1」との結びつきを強めていく。それはF1ドライバー、ジョー・シフィールが同社初のブランドアンバサダーに就任したことに始まる。
この契約は、現代におけるスポーツ選手とブランドのアンバサダー契約の先駆けとも言われており、この点でもタグ・ホイヤーの先見性がよくわかるのである。
そして、このジョー・シフィールが友人であるスティーブ・マックイーンに「モナコ」を勧めた張本人。さらに映画『栄光のル・マン』でマックイーンが駆るポルシェ917も彼の個人所有物だったのだ。そして『栄光のル・マン』はヒット。「モナコ」もマックイーン愛用モデルとして有名になり、人気モデルとなる。その人気は50年が経過した今日でも健在でなのである。
タグ・ホイヤー4代目社長ジャック・ホイヤー
創業家の出身で、ホイヤー社の4代目社長でもあるジャック・ホイヤー。元レーサーでもあり、名機「カレラ」の名付け親でもある。現在はタグ・ホイヤー社名誉会長。タグ・ホイヤー4代目社長ジャック・ホイヤー
右:初のアドバイザー F1パイロット ジョー・シフィール
左;ジャック・ホイヤー
1936年スイス出身のF1パイロット。タグ・ホイヤー初代アンバサダー。F1グランプリでは2勝している。
70年代から始まった本格的なF1参戦
タグ・ホイヤーは、その頃から本格的F1に関わっていき、71年には名門スクーデリア・フェラーリとパートナーを組み、計時を担当。1/1,000秒が計測可能な「ル・マン センティグラフ」を開発し、70年代のフェラーリの快進撃を支えたのである。
さらに85年からホイヤー社はTAG(テクニカルアヴァンギャルド)と結びつき、タグ・ホイヤーとなり、マクラーレン・チームと長いパートナーシップを締結する。70年代のフェラーリとのような強力な体制は、さらなる飛躍を生む。そんななか登場したのが、88年にマクラーレン入りしたアイルトン・セナだ。アラン・プロストとともに16戦15勝という驚異的な戦績をあげたセナは、タグ・ホイヤーともアンバサダー契約を結ぶ。それが人気モデル「セル」に結びついていくのである。
そして、92年から2003年まではF1グランプリの公式タイムキーパーを務め、現在では当たり前となっているコンピュータを連動させた計時システムを構築。また、最速の電気自動車を競うフォーミュラーEにも、初年度から公式タイムキーパー、公式ウォッチ、テクニカル・ファウンディング・パートナーとして関わっている。
つまりタグ・ホイヤーは、レース戦略を含め、モータースポーツに大きな影響を与えているだけでなく、クリーンエネルギーとサスティナビリティが融合した新たな世界をもリードしているのだ。まさに先駆者的な存在といえるのである。
スクーデリア・フェラーリ
イタリアの自動車メーカー、フェラーリが運営するワークス・レーシングチーム。スクーデリアは「厩舎」の意。F1で16度のコンストラクターズ・タイトルを獲得している名門。
アイルトン・セナ
1960年ブラジル出身のF1パイロット。3度のF1ワールドチャンピオン、優勝回数41回、ポールポジション65回と最速の名を欲しいままにした。モナコGPを6度勝ったモナコマイスターでもある。
モナコ公国のモンテカルロ市街地コースで行われるF1世界選手権レースの一戦。 「インディ500」「ル・マン24時間レース」と並び「世界3大レース」の1つに数えられている。
タグ・ホイヤーの人気モデル「モナコ」
タグ・ホイヤーの人気モデル「モナコ」の名は、文字通り地中海の美しい国“モナコ公国”からで、その美しい響きと高潔であり気品があるという理由で名付けられてた。それはモナコという国とタグ・ホイヤーに古くから結びつきがあったわけではなく、モナコにはF1モナコグランプリという「3勝分にも値する」と言われる格式高いレースがあるからだ。伝統と華やかさに加え、高い運転技術と集中力を要する市街地コースでのレースはテクニカルで、当時新しい技術(自動巻きクロノグラフ)が搭載されたスポーツウォッチであり、美しいスクエアケースを持つ「モナコ」にはピッタリの名称でもあった。
モナコグランプリは、高級リゾート地で行なわれるために、他のグランプリに比べても圧倒的に優雅である。土地柄、富裕層が多く、観戦も高級ホテルや自宅アパートのバルコニー、そして一番の特等席が港に停泊する豪華クルーザーの甲板となっている。
日程も他グランプリとは違い、金曜日を休息日とし(他のGPは予選がある)、モナコ大公主催のパーティが開かれる。ドライバー、チーム関係者はもとより、世界中のセレブリティも正装で参加するのだ。このGPが他と違うのは、モナコ王室観戦の御前レースだということである。かつてはレーニエ3世と大公妃グレース・ケリーがパレード走行を行なうほどだった。表彰式にも、もちろんロイヤルファミリーが出席し、大公(現在はアルベール2世)からトロフィーを受け取るのである。
F1モナコ・グランプリ
2019年も5月26日に伝統のモナコ・グランプリは、例年どおりモンテカルロ市街地コースで行われた。モナコは、他のグランプリと違い、クルーザー、ホテル、スタンドと、大きく3つの場所からの観戦となる。
タグ・ホイヤーがスポンサードする
アストンマーティン・レッドブル・レーシング
2005年からF1に参戦しているコンストラクター・チーム。本拠はイギリスだが、国籍登録はオーストリアである。これまでにコンストラクターズ・チャンピオンを4度、ドライバーズ・タイトルを4度獲得している。2019年はマックス・フェルスタッペン、アレクサンダー・アルボンの2選手が出走。フェルスタッペンがオーストリアGPとドイツGPと2勝を挙げている。2016年から、タグ・ホイヤーはスポンサーとなっている。
アストンマーティン・レッドブル・レーシング
スティーブ・マックイーンと「モナコ」
キング・オブ・クール、スティーブ・マックイーンと角型スポーツウォッチ「モナコ」の結びつきは、とても有名だ。1971年公開の映画『栄光のル・マン』では、ガルフ・レーシングのスーツを纏い、「モナコ」を腕にレースを駆け抜けている。映画の公開とともに「モナコ」ウォッチも一躍スターダムへと押し上げられ、以来、腕時計「モナコ」は憧れのスポーツウォッチとして認知されている。
劇中で使用されたオリジナルモデルは、光沢感の少ないマットなブルーカラーのダイヤルに、形の異なる3種類のバーインデックスが配置されており、とくに1、5、7、11時は横棒デザインになっているのが特徴的だ。また、インデックスや針に赤色が使用されており、ロゴはTAGのない「HEUER」のみ。風防もまだプラスティックが使われていた。

スティーブ・マックイーン
1930年インディアナ州生まれ。「キング・オブ・クール」と呼ばれたアメリカの俳優。アンチヒーロー的なキャラクターで60~70年代にかけて絶大な人気を誇った。代表作に「ブリット」「ゲッタウェイ」「荒野の七人」「大脱走」「タワーリング・インフェルノ」などがある。