不況下でモノが売れない時代。「価値ある情報」を求める声がさらに高まりを見せるいま、来年創業50周年を迎えるマーケティングリサーチ業界最大手の「株式会社インテージ」(本社・東京千代田区)は、次なる50年を見据えた「NEXT50」を打ち出した。激変する市場環境の中、多様化する消費者行動を、どう捉えて行けばいいのか──。ジャーナリストの蟹瀬誠一氏と、つねに業界をリードして来た同社社長の田下(たおり)憲雄氏が対談した。

市場経済に先駆けて「社会調査研究所」として創業

蟹瀬 まずマーケティング・リサーチの会社で来年50周年というのは、ずいぶん早い創業だったかと思うのですが。

田下 その通りですね、まだ日本の戦後が終わるか、終わらないかの時代です。東京五輪が1964年ですが、私どもは1960年に創業しました。

蟹瀬 その当時の社名は別のものだったのでしょうね(笑)。

田下 「社会調査研究所」という、まさにそのものズバリの社名でした。業務としては市場調査、社会調査の専門機関として立ち上げたわけです。いわゆるリサーチ産業が日本で芽生えた頃の、文字通り草分け的存在です。

蟹瀬 ちょうど高度成長時代の風に乗って、その後発展を続けられた。大きな半世紀でしたね。

田下 ご存じのとおり、マーケティング・リサーチはアメリカなどに比べ、遅れて来た分野です。戦後復興のモノのない時代には、そもそも成立しない仕事です。まずモノを作るのが先決でしたから。その後、生産力が回復し、消費社会になり、やがて消費者の選択の幅が広がって、ようやく市場調査の出番が来るわけです。

蟹瀬 1955年頃ですね。

田下 そうです。日本生産性本部(当時)が米国へ視察に行きまして、マーケティングという概念が日本に導入されました。マーケティング・リサーチの業界も、それから少し遅れてスタートしています。

蟹瀬 もちろん企業ですから、順風ばかりではなかった?

田下 挫折も経験しています。会社がなくなることを覚悟した時もありました。でも幸い若くてエネルギーだけはありましたから(笑)
それに受注業務だけでなく、つねに新しい挑戦をして行こうという創業社長の意欲も大きかったと思います。

蟹瀬 その具体的な例は何かありますか?

田下 コンピューターの導入とITの活用ですね。膨大なデータの処理、集計、加工、分析にはコンピューターの活用がベストと、早くから導入しました。市場調査の仕事も情報サービスですから、情報技術を一体化して提供することで価値が生まれるという先見性がインテージの発展につながったと考えています。基本的にはまったく今と同じ発想です。

蟹瀬 待っているよりも自分から行動していく、ということですね。つねに先を見る、そして先へ進む。これは成長していく企業には共通していることですね。

田下 当社は事業ビジョンに「インテリジェンス・プロバイダー」を標榜していますが、その原点が創業の志にあったということです。現在は市場調査だけでなく、各種のソリューション、医薬品開発支援などの業務も加え、総合情報サービスを行っております。マーケティングについての理解力を背景に、リサーチ技術、システム化技術、業界・業務知識、コンサルティング力などの専門性を融合することによって、インテリジェンスを提供し、お客さまを総合的に支援するビジネス・パートナーでありたいと考えています。

クリエイティブ的視点で消費者の向かう先を探し出す

蟹瀬 今、リーマンショックとよばれた金融危機があり、世界で2000兆円が消えたといわれています。この不況下で、とくに市場データを商品とされる上で、御社のビジネスにもかなりの影響がありますか?

田下 どの業界とも共通して、コストカットや経費削減で大変厳しい環境です。それとは別にメディアなども同様でしょうが、インターネットの出現の影響が大きいですね。仮に景気が回復しても、元に戻ることのない時代だと認識しています。経済危機とインターネットの発展が重なって、不可逆的な変化が起きていると感じています。

蟹瀬 広告費がもろに影響を受けていますね。広告費でいま上昇しているのはネット広告だけ。ラジオを抜いて、テレビ広告の下に来ていますからね。

田下 インターネットの方が速くて、安い。しかも結果が明瞭です。ですから当社のビジネスにおいてもインターネットは非常に大きな影響を与えています。