出所:共同通信イメージズ
ChatGPTの登場から早3年、生成AIは経営の在り方を根本から変えようとしている。だが、100年前にも似たような時代の転換点があった──。AI時代に注目すべき経営理論として、20世紀初頭にフレデリック・テイラーが提唱し企業の生産性を飛躍的に高めた「科学的管理法」を挙げるのは、2025年10月に著書『テイラー「科学的管理法」再考』(中央経済社)を出版した慶應義塾大学名誉教授の渡部直樹氏だ。現代においてテイラーの科学的管理法を学ぶことの意義、混同されがちな「フォード生産システム」との決定的な違いについて、同氏に聞いた。
テイラーの科学的管理法に対する「多くの誤解」
──著書『テイラー「科学的管理法」再考』では、米国の技術者・経営学者フレデリック・ウィンスロー・テイラーが提唱した科学的管理法について、その誤解を解きながら現代における意義について解説しています。今回、どのような理由からこうしたテーマを選んだのでしょうか。
渡部直樹氏(以下敬称略) AIをはじめとする先端技術が、私たちの職場や企業・産業、そして経済や社会全体に新たな変化をもたらそうとしている今、合理的な経営理論として世界に影響を与え続けてきた科学的管理法を正しく理解することで、多くの学びを得られるからです。
大学で経済学を学んだ方にとって、テイラーはなじみのある存在かもしれません。同氏が科学的管理法を提唱した人物であることは広く知られていますが、その著書を丁寧に読み込み、正確にその内容を理解している人は決して多くないのではないでしょうか。
テイラーの科学的管理法を「能率学」と訳し、日本に紹介した「能率の父」上野陽一氏も、こうした傾向に警鐘を鳴らしています。日本の多くの学者がテイラーの著作を読まずに論じていること、さらにはドイツの学者による批判をうのみにして語っていることを、上野氏は厳しく批判しています。
テイラーに対する誤解は少なくありません。そして、その多くは知識不足や感情的な反発によって生じているように感じます。
よくある批判の一つに「テイラーは労働者と機械を同一視している」というものがありますが、それは的外れだと思います。むしろテイラーは、人間と機械の関係を見直し、よりよい形に改革しようとしていました。また、利潤の公正な分配や、働く人々の能力開発、さらにはそれを可能にする「精神の成長」こそが生産現場において最も重要である、と主張しています。
科学的管理法が「人間機械論ではない」と批判された原因とは?
──著書では、テイラーの科学的管理法はチャップリンの映画『モダン・タイムス』で描かれた世界観とは異なる、と述べています。
渡部 はい。テイラーが思い描いていた製造現場は、モダン・タイムスに描かれたような単調で無機質なものではありません。むしろ、経営者と従業員がそれぞれ自律的に、協力し合いながら働くことを理想としていました。
現代では、AIの登場により「ネオ・ラッダイト」とも呼べる動きが見られます。これは、19世紀初頭のイギリスで起きたラッダイト運動(機械打ち壊し運動)とよく似ています。当時は産業革命によって機械が導入され、「仕事が奪われるのではないか」と不安になった労働者たちが、機械を破壊するという行動に出ました。今の時代におけるAIやデジタル技術への忌避感も、それに重なる部分があります。
しかし、こうした先端技術の導入を避けることは現実的ではありませんし、問題の解決にもつながりません。AIブームのいまだからこそ、かつて生産性を飛躍的に向上させた科学的管理法をあらためて見直し、誤解を解きほぐしながら再構築していく必要があると考えています。
──テイラーの科学的管理法が誤解され、批判を受けた背景には、どのような原因があるのでしょうか。
渡部 テイラーは、業務の効率化のために作業を細かく分解し、それぞれの動作にかかる時間をストップウォッチで測定しながら、最も効率的な「標準」を定義しようとしました。そのため、表面的には「機械のように扱っている」と受け取られかねない側面があるのは事実です。
しかし、当時の労働組合の多くは熟練労働者によって構成されるいわゆる「労働貴族」と呼ばれる人たちでした。そうした人たちが「自分たちの権益が損なわれるのではないか」と不安を抱いて感情的に反発した面が大きく、テイラーの思想を正しく理解した上での批判とは言えません。
また、テイラーは経営者側からも誤解されていました。彼は科学的管理法を「法」として、経営者自身も従うべきものだと説きましたが、それが「エンジニアが経営に口を出すな」という反発を招きました。さらに、利益(テイラーの言葉では「余剰」)は労働者に分配されるべきだと述べていましたが、それを実行した経営者はほとんどいなかったのです。
また、当時の学者たちやジャーナリズムも、テイラーの考えに否定的でした。中には「労働のような“汚れ仕事”に科学を使うなどけしからん」と嫌悪感をあらわにする声もありました。1912年には「科学的管理法に関する特別委員会」が設置され、テイラー本人が公聴会で証言を求められる事態にまで発展しました。
それでも、テイラーの科学的管理法が各国に広がり、生産性を飛躍的に高めたことは疑いようのない事実です。そして「科学的管理法=人間機械論」という誤解は、今こそ正していくべきだと思います。
「囚人のジレンマ」脱却するためには信頼関係が必要
──著書では、テイラーが主張する「科学的管理法の本質」として「労使双方の精神革命」というポイントを挙げています。ここでいう「精神革命」とは、どのようなことを意味するのでしょうか。
渡部 一言でいえば、使用者と労働者が互いに協調し合う意識を持つことです。テイラーは自身の著書の序文において、非効率が生じる原因のほとんどが「労使が互いに不信感を抱き、対立的な利害関係に陥っている構造そのものに起因する」と述べています。
この関係性はまさに「囚人のジレンマ」の典型です。信頼があれば双方が得られるはずの利益も、相手を信用できないがゆえに自己防衛に走り、結果として両者が損をしてしまう、ということです。
例えば、労働者がまじめに働けば、経営者は報酬を引き上げることができます。これが成立すれば両者に利益がもたらされるでしょう。しかし、労使間に信頼関係が築かれていなければ、労働者は「どうせ給料は上がらない」と手を抜き、経営者は「どうせ手を抜かれる」と賃金を据え置くことになります。結果、組織全体の生産性が低下してしまうのです。
この悪循環を断ち切るには、「闘争」ではなく「協調」に向かうしかありません。テイラーが訴えた精神革命とは、まさにこの協調関係を構築するために、労使が信頼を少しずつ積み重ねていくプロセスそのものです。合理性や制度設計の巧拙も重要ですが、最終的に人を動かすのは「信頼」だと考えています。
テイラーリズムは機械中心ではなく「人間中心」
──著書では、テイラーの科学的管理法に対する誤解の一つとして、「フォーディズム(Ford生産方式)」との混同があると指摘しています。どのような点で両者は混同されてきたのでしょうか。
渡部 確かに、両者には類似点があります。いずれも科学的な職務分析を基盤に、機械と人間の協働を最適化し、生産性向上と高賃金・低コストの両立を目指した点は共通しています。しかし、決定的に異なるのは「人間観」です。
米フォードは、ベルトコンベアによって人間の動きを機械に合わせることで大量生産を実現しました。これは「機械による人間の制約」を前提とする発想であり、組織運営も中央集権的で、全体主義的な側面を持っていました。ヒトラーがフォードを称賛し、勲章を与えたという事実も、それを象徴しています。
一方のテイラーは、標準作業を定義する目的を「人間の能力を引き出すため」と位置付けていました。標準化は拘束のためではなく熟練に至るための指標であり、作業者自身が最適な手順を見いだす自由を持つべき、と考えていたのです。また、適材適所の配置や教育訓練による能力開発にも重点を置いており、労働者の可能性に着目した「人間中心」の思想が根底にあります。
フォード社が1914年に労働時間の短縮や高賃金化を打ち出したことは有名ですが、実際には離職率が370%に達し、離職者を補うための採用コストが膨らみました。つまり、高待遇にもかかわらず労働者の満足は得られなかったわけです。このようなフォーディズムの副作用が大きく報道されたことで、テイラーリズムも同一視され、長らく誤解され続けてきたと考えています。

