
世界15カ国・地域に拠点を擁し海外売上高比率が50%を超える三井化学では、2016年からグローバルリーダー人材育成を目指すキータレントマネジメントに注力してきた。三井化学本体と関係会社の人材育成施策を連動させるなどグループ全体としての人材育成を推進し、2025年度からは新たな展開に着手している。正解を見いだすのが困難な人材戦略において、三井化学ではどんな試行錯誤をし、成果につなげているのか。三井化学グローバル人材部長の牧野元太氏と、『日本企業のタレントマネジメント』の著者でタレントマネジメント研究の第一人者である法政大学の石山恒貴氏との対談で、その実態を掘り下げる。
2025年度からキータレントマネジメントを強化
牧野元太氏(以下、敬称略) 三井化学では、人材戦略を経営戦略と連動させて展開しています。その中で、グローバル人材育成を優先課題としたのが2011年、特に今回の対談のテーマであるキータレントマネジメントがスタートしたのは2016年のことです。
これまで実施してきたグローバル人材育成施策の概念を図にするとこのようになります(図1)。左側の三角形が三井化学本体の経営層を育成するためのピラミッド、右側が関係会社のリーダーシップポジションの人材を育成するためのピラミッドです。
本体と関係会社で共通のリーダーシップ研修を実施する、成長に資するタフな経験が得られるポジションを本体・関係会社の双方からリストアップし、人材育成のための配置を行う、といった特徴があります。
図1拡大画像表示
石山恒貴氏(以下、敬称略) 2025年度から、キータレントマネジメントをさらに強化するべく、これまで取り組んできたグローバル人材育成施策を改良したそうですね。
牧野 当社のキータレントマネジメントの目的は、キータレント(将来の本社部レベル長)候補と、さらに上の経営者候補となる人材の早期選抜と戦略的育成でした。二段階の人材育成委員会を設置し、キータレント候補は「部門別人材育成委員会」が、経営者候補は「全社人材育成委員会」がそれぞれ担う体制で実施してきました。
しかし、10年ほどを経て、「そもそも日本以外の地域人材が対象となりにくい」「本社による人材の把握に限界がある」「地域人材の戦略的育成・配置の選択肢が少ない」といったグローバル人材育成上の課題が浮き彫りになってきたのです。
石山 課題を踏まえてどう変えたのでしょうか。
牧野 まず、各地域の人材と重要ポジションをより明確に可視化する必要がありました。そのために、地域の関係会社のサクセッションプランに着目しました。
個々の関係会社の事業継続に必須のプランニングですが、同時に地域の重要ポジションとキータレントのマップにもなります。全世界の関係会社でサクセッションプランを作成し、それをベースに各地域のキータレントの選抜と戦略的育成を実行するための「地域別人材育成委員会」の立ち上げを計画しています(図2)。
つまり、既存の「部門別」に「地域別」を掛け合わせることで、キータレントの可視化を強化しようという考え方です。
図2拡大画像表示
石山 経営戦略を見ても、2021年度までの「VISION2025」における人材戦略のテーマが「戦略的タレントマネジメント」であったのに対して、2021年度からの「VISION2030」では、テーマが「包摂的タレントマネジメント」に変わっています。
牧野 当社グループは事業ポートフォリオの変革に挑んでいますが、それには従来の枠を超えた発想と行動が求められます。
単なる国籍や性別といった属性だけでなく、経験や専門性、考え方など多様なバックグラウンドを持つ人材を包摂して、全員が活躍することで目標達成を目指すという考え方です。
各地域には当社の理念に賛同して頑張っている優秀な人材がたくさんいますので、彼らがさらに活躍できる環境を整えることが、人材戦略の重要なテーマになってきます。
過去10年の成果も着実に出つつある
石山 三井化学では、先ほどの図1の通り、計画的かつ丁寧に人材育成を実践されてきました。これまでの取り組みについてお伺いします。
いくら計画的に施策を実施したところで「キータレントのコンピテンシー(行動特性)がどんなものか」「グローバルモビリティ(国際間人事異動)が可能か」といった詳細な情報をどこまでリアルに掘り下げられるかは常にポイントになりそうです。各委員会での議論の質を高めるために、工夫してこられたことはありますか。
牧野 委員会では、キータレントのプロファイルをカタログ化して共有していくのですが、当初は、カタログを紹介する場にとどまってしまい、実効性のある議論にまで踏み込めない状況がありました。
この問題に対しては、異動の時期が近い人材や同じ部門に長く在籍している人材を特定してピックアップするなど、議論の時間を確保するための試行錯誤を繰り返してきました。
石山 キータレントをアピールする側からすれば、どうしても説明が長くなってしまう場合もありそうです。とはいえ、議論の時間を確保しなければ委員会が適切に機能しません。
牧野 例えば、全社人材育成委員会で徹底的に議論すべき難題として、部門最適と全社最適のせめぎ合いがあります。キータレントは当然、その時点で所属している部門でも活躍しているはずです。余人をもって代えがたい、という状況にある場合も考えられます。
とはいえ、その人材が、グローバルリーダーシップポジションを担える可能性がある人材なのであれば、部門最適を犠牲にする選択肢を検討しなければならない。
どちらの選択肢が正解かはやってみなければ分からない要素がありますが、逃げずに向き合わなければならない議論でもあります。この議論の質を高める工夫の余地はまだまだあると思っています。
石山 その人材を抱えている部門が、エースピッチャー的な存在を外に出したがらないという場合もあるかもしれません。御社の場合はどうでしょうか。グループ全体で人材戦略への理解が得られるようになっていますか。
牧野 そうですね。10年もやっていると人材戦略自体はかなり浸透していて、優秀な人材を意図的に囲い込もうとするような部門はもはやありません。
ただ、やみくもに人材を引き抜かれた部門の競争力が大きく低下するような事態を避けなければならないのも確かで、ここが本質的な議論の難しさだと思っています。
石山 すでに海外の関係会社から本社に抜擢されるような事例も出始めているのでしょうか。
牧野 最も役職の高い事例では、過去に当社がM&Aをした米国の事業会社のCEOが頭角を現し、本社の常務執行役員に就任したケースがあります。もう少し下のレイヤーでは、ヨーロッパで育ったマネージャーが米国市場で担当事業を統括するジェネラルマネージャーに就任するといった事例も出てきています。
委員会を「部門別×地域別」の体制へ、関係各社の反応は上々
石山 議論の質が高まり、成果も出つつある中で、さらなる飛躍に向けて委員会に地域別を加えたわけですね。
キータレント候補を選抜する委員会が「部門別×地域別」になり、経営者候補を選抜する全社人材育成委員会も継続して実施するとなると、交通整理が複雑になるなど、委員会で成果を挙げるための難易度は上がりそうです。
牧野 その点では、今また新たに試行錯誤している状況です。ただ、関係各社の反応の部分は、今のところ上々です。かつて十分に注目されてこなかった領域に光が当たるようにしたことで、思いのほかポジティブな反響を多くいただいています。
例えば、ヨーロッパ地域の関係会社のマネジメントから「優秀な人材を米国で経験を積ませた上で自社に戻す」といった育成の選択肢が広がったことについて、歓迎の声が寄せられています。
石山 優秀な人材を排出して終わりではなく、成長して戻ってきてもらえる可能性があると思えば、送り出す側にもメリットがありますよね。グループ内でのエクスポージャーが高まることで、「きちんと見てもらえている」「育成の機会も回ってくる」という実感につながる。そうした期待感が広がりつつあるようですね。
本日は、三井化学のキータレントマネジメントについて、貴重な体験談を伺うことができました。牧野さんから、対談をご覧いただいた方にメッセージがありましたらお願いします。
牧野 本日は、まだ試行錯誤の途上にある取り組みも含めて、当社の事例をお話ししました。当社のグローバルタレントマネジメントの歴史は、大小さまざまな失敗を重ねながら一歩ずつ前に進んできたプロセスそのものです。
これに近い取り組みを進めておられる各社の皆さまの中で、もし当社の取り組みに関心をお持ちいただける点がありましたら、ぜひ情報交換をさせていただければと思います。世界の優れた人材とつながり、日本発グローバル企業として、ともに成長していけるような取り組みをお互いに学び合えれば幸いです。

