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 社員の個性を生かした経営をしたいと考えるならば、「個性とは何か」を理解する必要がある──。そのように語るのは、國學院大学経済学部経営学科教授の鈴木智之氏だ。企業はどのような視点から人材の個性を捉えるべきなのだろうか。2025年6月に書籍『個性を活かす経営と人事 認知・非認知の経営学』(日本能率協会マネジメントセンター)を出版した同氏に、人材の個性を捉えるために有効な枠組みや、独自の採用基準や人材観を持つ企業の実例について聞いた。

日本企業も採り入れ始めた「ビッグファイブ理論」

――著書『個性を活かす経営と人事 認知・非認知の経営学』では、パーソナリティ特性研究の中心地は長らく「ビッグファイブ理論」にあると述べています。ビッグファイブ理論はどのような考え方に基づいているのでしょうか。

鈴木智之氏(以下敬称略) ビッグファイブ理論は、人間のパーソナリティ特性を「外向性」「協調性」「勤勉性」「情緒安定性」「開放性」の5つの次元で捉える理論です。5つの要素で人のパーソナリティ特性の全てを説明できるわけではありませんが、20世紀から研究が続けられている歴史ある理論です。

 実際に、教育分野やカウンセリング、医療現場での臨床などで活用されてきました。欧米では20世紀後半から経営分野で応用されるようになり、日本でも近年、企業実務でビッグファイブが意識され始めています。

――企業経営においてビッグファイブ理論はどのように活用されているのですか。

鈴木 活用方法は企業の戦略によって異なります。ビッグファイブは「非認知特性」を測定するための枠組みです。企業によっては非認知面よりも認知面、たとえば知的能力を重視する場合もあります。重要なのはその戦略的な使い分けです。論理的思考を重視する職種では、非認知特性よりも認知能力を重視すべきなので、その場合はビッグファイブの重要度が相対的に低くなります。

 逆に、営業職やサービス業など、情緒的な対応や対人関係が重要な職種では、非認知特性の重要性が高まります。そのような企業では、採用時の評価項目として非認知特性を重視したり、人材育成の目標設定に活用したりするケースが考えられます。

グーグルが採用試験で学力指標「GPA」を重視しない理由

――著書では、グーグルの採用試験において、「GPA」と呼ばれる成績評価の指標があまり重視されておらず、一般的な認知能力を重視している点に触れています。グーグルはどのような考えのもとで、こうした採用基準を設けていると考えられるのでしょうか。

鈴木 グーグルのウェブサイトでは、知的能力のうち学力指標となるGPAなどは重視していないとしています。一方で、知的能力のうち「一般的な認知能力」と表現される領域は重視している、とされています。

國學院大学経済学部経営学科教授 鈴木智之氏(撮影:岡田一也)國學院大学経済学部経営学科教授 鈴木智之氏(撮影:岡田一也)

 つまり、認知能力の中でも学力指標は重視せず、学力以外の部分は重視する方針、と考えられます。

 人間の「頭の良さ」は、学術的に2つのカテゴリーに分類されます。第一は「既に解法が確立された問題を解く能力」、第二は「未知の問題を解く能力」です。前者は一般的に「学力」と呼ばれ、後者は実務的には「地頭」、学術的には「GMA(General Mental Ability)」などと呼ばれます。

 グーグルのビジネスは、伝統的な企業が手がけてこなかった革新的な領域を開拓し続けています。そのため、既知の問題を解く能力よりも「未知の問題に取り組む能力」、加えて「それらに挑戦する意欲を持つ人材」が求められているのです。この事業戦略と人材戦略の整合性が、採用基準に反映されていると推察されます。

 人類史を振り返れば、かつて未知だった計算問題も、先人の努力により既知の問題となっています。このように、学力指標の内容も時代とともに変化していることは意識する必要があるでしょう。

「高学歴=仕事ができる」とは限らない理由

――著書では、知的能力とビッグファイブ理論の関係性について解説しています。社員の個性を生かすために、この2つの関係性をどのように理解すべきでしょうか。

鈴木 これは認知と非認知の関係性を理解する問題です。認知能力が相対的に低い人もいれば、非認知特性が劣る人もいます。ただし、「劣る」という評価自体が状況に依存するため、一概に判断できるものではありません。

 問題は、職場で「認知能力が低い」と評価された人材が、他の側面でも劣っていると判断されがちなことです。逆に、「認知能力が高い」と評価された人材は、同様に他の能力も高いと思われる傾向があります。

 一般社会や企業では、人間を一つの側面で判断しようとすることをしてしまいがちなのかもしれません。しかし、これまでの研究では、そうした判断が必ずしも正確ではないことがデータによって実証されています。つまり、ビッグファイブと知的能力は必ずしも相関しません。「誠実性に欠ける」「情緒的に不安定に見える」というように非認知特性に課題を抱えていても、知的能力の高い人材は存在します。もちろん、その逆のケースも存在します。

 こうした個性の枠組みが明確になれば「認知能力は高いが、ビッグファイブの評価はどうか?」といった多面的な人材評価が可能になるはずです。

――人の個性を正確に把握するには、多角的な視点が不可欠ということですね。

鈴木 多角的な視点を持つことで、さらに発展的な理解ができるでしょう。先人たちが蓄積してきた知識は存在するものの、それらが分散して存在していたため、結果的に「多様性を生かそう」といった曖昧な議論に終始していたのだと思います。

 一方、業績が好調な企業に目を向けて見ると、必ずしも多様性を全面的に受け入れているわけではない、という点にも注目すべきです。例えば、2025年通期業績を上方修正するなど業績好調な花王の企業理念(花王ウェイ)を見てみると、「多様性を制限している」という解釈も可能だと私は分析しています。

 同社は「正道を歩む」といった価値観を明確に打ち出し、「すべての人に敬意、公平さ、共感をもって接する」ことを推奨しています。しかし、世の中ではそのような謙虚さがなく、並外れた自信を持ち、他者への優越的な態度をとっている人が経済的に成功していることをしばしば見かけます。それも一つの個性です。

 ただし、花王の価値観に照らすと、こういった人材は自社に適合しない、と考えられるのではないでしょうか。つまり、そういう個性の存在を否定はしていないものの、少なくとも自社という限られた枠組みにおいては求めているものと違う、ということです。

 ユニクロで知られるファーストリテイリングも業績好調な企業の一つですが、「チームで成果を出す」ことに意味を見いだせる人材を明確に求めています。つまり、個人だけで成果を上げることにやりがいを感じるような人材は求めていない、ということを示唆しています。

 トヨタ自動車も、自社における「人間力」を明確に定義し、それに該当する人材を求め、社員に人間力を高めてほしいと考えています。その意味での人間力に該当しない人材はトヨタ自動車という枠組みでは求めていないということです。これは人間としての価値を否定するものではなく、トヨタという限られた組織において必要な人材要件を設定している、ということです。

 つまり、企業には「多様性を制限すべき領域」と「多様性を推進すべき領域」の両方が存在するのです。しかし、多くの企業は判断に迷うと「多様性を生かす」という曖昧な表現に逃げてしまう傾向があります。大切なことは「どの領域で多様性を制限し、どの領域で多様性を受け入れるか」を明確にすること、その意思決定のために「個性とは何か」という根本的な理解を深めることなのです。

「多様性を制限する」という表現に抵抗がある場合は、「他社とは異なる求める人物像を決める」と読み替えればよいでしょう。多様性が思考のエスケープゲートにならないようにすることが、結果として多様性を生かすことになります。

 個が集まって組織ができます。個が見えないのに、組織の中で多様な個を活かそうと躍起になるのではなく、「個を見てから、多様な個を活かそう」ということです。