象印マホービン 広報部長の西野尚至氏(撮影:栗山主税)

 象印マホービン(以下、象印)といえば「象のシンボルマーク」がなじみ深いが、実はその“象徴”が消えていた時代がある。1986年から20年弱の期間だ。しかしその後、現社長の市川典男氏が2001年に就任すると、このシンボルマークを復活させた。一度消えたのも、あるいはまた復活させたのも、当時の経営戦略が大きく関わっていたという。象印のロゴ、その変遷をたどる。

数ある動物の中から「象」を選んだ理由

 魔法瓶メーカーとして創業した象印。そもそもなぜ、同社のシンボルマークに「象」が選ばれたのだろうか。「実は、創業当初から象のマークを使っていたわけではありません」。そう話すのは、広報部長を務める西野尚至氏だ。

 1918年、「市川兄弟商会」という社名で創業した同社は、魔法瓶の内側部分(中瓶)を製造する事業をスタートした。当時は魔法瓶の中瓶を作るメーカーと、外側部分を作るメーカー、さらにはそれらを組み立てて最終商品として販売するメーカーなどに分かれており、同社は中瓶を作り、次の工程を担うメーカーに渡していたという。いわゆるBtoB企業であり、現在のように最終商品を製造して消費者に直接販売するといったことはしていなかった。「そのため、お客さまから認知を得るためのマークなどは特に必要がなかったといえます」。

 転機となったのは、創業から5年後の1923年。最終製品まで作って販売する業態に変わったことだった。ここで分かりやすいシンボルマークが必要になる。なぜなら当時、魔法瓶の国内需要はほとんどなく、同社製品の9割近くは中国や東南アジアへの輸出が中心だった。「海外で販売するにあたり、市川兄弟商会という名前では現地の方に親しんでいただけません。そこで象のマークを採用したのが始まりです」。

「数ある動物の中で象を選んだ理由は、まず中国や東南アジアの方にとって愛着のある動物ということ。その上で、象の力強いイメージが、壊れにくい、長持ちするという印象に重なると考えたのです。当時の魔法瓶はガラス製が主流で、今より壊れやすい面がありましたから。さらに象は家族愛が強く、性格も優しいことから、家庭で使う魔法瓶に合うという理由もありました」

 同社の社史には、象のマークを選ぶまでの様子も記されている。それによると、創業者である市川銀三郎・金三郎兄弟とその家族が、家族会議を経て決めたという。当時のマークは今と雰囲気が大きく異なり、象のイラストが写実的かつ克明に描かれていた。頭に王冠を乗せているのも現在とは違う点だ。

1923年当時のロゴマーク(提供:象印マホービン)
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 なお、他の魔法瓶メーカーも同じように動物のロゴを採用するケースが多かった。タイガー魔法瓶や孔雀のマークのピーコック魔法瓶工業などがその例だ。当時はどの魔法瓶メーカーにとっても、海外で製品を売り出す際には動物のマークを付けることが効果的だったということのようだ。

象のマークが消えた理由、企業としての狙い

 こうして誕生した象のマークは、やがて社名になった。1961年、象印マホービンに改称したのである。この頃になると、日本でも卓上用ポットなどが普及しており、同社も国内向けビジネスを強化していた。早くからテレビCMも展開しており、その中で「象のマークの象印」というブランドを打ち出していたという。このイメージが十分広まったことから、社名とブランドを一致させた。

1961年当時のロゴマーク(提供:象印マホービン)
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 当時のマークを見ると、象のイラストも当初から大きく雰囲気が変わっている。リアルな象の描写ではなく、キャラクター要素が強くなった。現在のマークに近づいている。

「当時社長を務めていた市川重幸は、象のマークをより良いものにしたいと考えていたようです。当社の商品は家庭の日用品であり、優しさや温かみ、親近感が重要です。当初のリアルな象の描写は、そのイメージと重なりにくいでしょう。こうした理由から愛らしい象のデザインへと変わっていきました」

 このように象のマークと共に育ってきた象印だが、実はそのシンボルが消えた期間がある。1986年、同社でコーポレートアイデンティティ(CI)を導入したときのことだ。会社のロゴ表記はコバルトブルーの「ZOJIRUSHI」を基調に、Oの部分には赤い輪を施す形に統一した。そして、国内では象のマークを外すことにした。

象のマークがない社名ロゴ(提供:象印マホービン)
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 なぜ愛着あるマークを外したのだろうか。そこには当時の経営戦略があったという。ガラス製の魔法瓶から始まった同社の事業は、その後、電気ポットや炊飯ジャーなど電気製品の比率が高まっていった。この路線を強化し、国際化とマーケットの拡大を図ったのがこの時期だ。ここで象のマークを外すという判断が出てきた。

「最新の電気製品を販売する中で、魔法瓶メーカーというこれまでの企業イメージを刷新したいという思いがありました。当社が育んできた優しさや親近感のイメージよりも、新しい技術を扱う企業としての先進性を打ち出そうと考えたのです」

 当時この領域には、松下電器や日立製作所、三菱電機や東芝など、先進技術に強みを持つ電機メーカーがひしめいていた。それらに挑む上で、象印も従来の魔法瓶メーカーではなく、新たな技術を活用しているイメージを強くしたかった。実際に、CIのコバルトブルーは先進技術性を、赤は躍動する企業の活力を表したという。反対に、魔法瓶のイメージが強い象のマークは外すことになったのだ。

新社長の経営方針により、象のマーク再び

 しかし、それから15年以上経って象のマークは徐々に復活していく。きっかけは、2001年に就任した現社長・市川典男氏の経営方針だった。

「社長に就任した市川は、最初の1カ月でこれからの経営方針をじっくり考えたといいます。その中で、当社の最大の資産は積み重ねてきた象印ブランドであり、それを経営のコアにすると打ち出しました。象印ブランドとは、これまでの当社の歴史や製品からお客さまが想像する“象印らしさ”です。そこにつながる企業活動をしようということでした。これが象のマークの復活につながります」

 同社では、長らく企業イメージ調査を実施してきた。その結果を見ると、外から見た象印のイメージは「優しさ」「温かみ」「誠実」「信頼」といったものが強かった。これらこそ長い歴史の中で培ってきた象印らしさであり、ブランドといえる。それをコアにした経営を行うとき、この象印らしさと一緒に認知されてきた象のマークは切っても切り離せないものだった。

「このマークは、いわば象印らしさの塊です。それを外すのは大きな損失だと考え、再び徐々に使うようになりました。もちろん先進性も企業には必要です。しかしお客さまがわれわれに求めているのは、日々の暮らしの中で、安心して製品を使えるメーカーであることです。それを再認識したのがこの時期でした」

ロゴマークの変遷(提供:象印マホービン)
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 こうしてシンボルが復活すると、2010年代には象のマークのみ載せた商品も増えていった。社名を印字しない形だ。ミレニアム世代を中心に注目を集める「STAN.シリーズ」や、水筒・タンブラーなどには象のマークしか描かれていない。「2010年以降、お客さまから『象マークがかわいい』という声が非常に増えてきました。お子さまの愛着も湧きやすいですね。SNSでも象のマークに関する投稿がよく見られます」。

 復活して約20年たった象のマークは、ますます同社のブランド経営に不可欠な資産となっている。象のマークがあることで、経営者や従業員が「象印らしさを大切にする」という意識をぶらさず持ち続けている面もあると西野氏はいう。

 一度は消えかけ、復活した象のシンボルマーク。その歴史の裏には、時代ごとの経営戦略があった。