サイゼリヤ元社長 堀埜一成氏(撮影:内藤洋司)サイゼリヤ元社長 堀埜一成氏(撮影:内藤洋司)

 2023年8月期の決算で大幅な増収増益を発表し、コロナ禍での業績低迷からV字回復を果たしたサイゼリヤ。同社の2代目社長として13年間辣腕を振るい、国内外1500店舗にまで育て上げたのが堀埜一成氏だ。2023年5月、著書『サイゼリヤ元社長がおすすめする図々しさ リミティングビリーフ 自分の限界を破壊する』(日経BP)を上梓した同氏に、変革を成就させるためのヒントを聞いた。

思い込みを排除することから「抜本的な改革」が始まった

――ご著書『サイゼリヤ元社長がおすすめする図々しさ リミティングビリーフ 自分の限界を破壊する』では、ご自身の生き方を振り返り、「図々しくあること」を提唱しています。「図々しさ」とはどのようなことを指し、企業経営においてどのように生きるのでしょうか。

堀埜一成氏(以下敬称略) 一言で表現するなら、やりたいことをやるために「全て実現できる」と考えることです。

堀埜 一成/サイゼリヤ元社長

1957年、富山県生まれ。京都大学農学部、京都大学大学院農学研究科修了。81年味の素に入社。87年ブラジル工場へ出向、超ハイパーインフレを経験。98年同社発酵技術研究所研究室長。2000年、サイゼリヤ正垣泰彦より生産技術者として口説かれ、株式会社サイゼリヤに入社。同年、取締役就任。2009年、同社代表取締役社長に就任、2022年退任。食堂業と農業の産業化を自らのミッションとし、13年の在任期間で急速成長後の基盤づくり、成熟期の技術開発など独自の感性で会社の進化をけん引する。

 誰でも自分のやりたいことを抑えるのは面白くないはずですから、やりたいことをやった方が良いに決まっています。しかし、世の中には「できない」と考えてしまう人が多いものです。それは、「思い込み(リミティングビリーフ)」に支配されているからではないでしょうか。思い込みは無意識にしているものですから、実は取り払うことができます。

「できない」と考えずに「できる」と考えるだけで事態は好転するものです。私はこれまで、何度もそうした経験をしてきました。

 私は2009年の社長就任時、サイゼリヤ創業者で会長の正垣泰彦氏(以下、正垣会長)の前で「理念以外変えます」と宣言しました。一見無茶苦茶に聞こえるかもしれません。しかし、ここで正垣会長のお墨付きをいただいたからこそ、抜本的な改革を進めることができました。

――変えないのは理念だけとなると、企業を根底から変える取り組みのように思えます。具体的には、どのような改革を進められたのでしょうか。

堀埜 最初に行ったことは、会社としての羅針盤になる「サイゼリヤコンパス」の策定です。サイゼリヤコンパスは、「基本理念」「DNA」「ミッション」「行動指針」という4つの項目から成り立つもので、正垣会長の感性や社内に根付いた考え方を言語化するためのツールともいえます。

ミッションと行動指針は「現場スタッフに受け入れられやすい言葉で」

――サイゼリヤコンパスの策定にあたっては、どのような点に注力されたのでしょうか。

堀埜 外食産業では、店舗や工場、本部といった部門によって、言葉のとらえ方や考え方が異なります。だからこそ、それぞれの現場スタッフに受け入れられやすい言葉を選ぶ必要があります。

 サイゼリヤコンパスの「基本理念」は、全社の根幹となる考え方です。「DNA」は、創業以来サイゼリヤに脈々と流れる考え方などを意味します。そして、企業として果たすべき使命である「ミッション」と、一人ひとりの考えや行動の拠り所となる「行動指針」は、全社共通のものを設ける一方で、現場では部門ごとのミッション・行動指針も策定してもらいました。

 これらを策定する際には、社外の専門家やアドバイザーも含めて様々な人が関わりました。そこで多くの反対意見を受けたのが、ミッションステートメントに加えた「サポーターを増やし続けること」という一文です。お客様はもちろんのこと、私や会長も含めたサイゼリヤで働く人々、株主や投資家などのステークホルダーを「サポーター」と表現したわけですが、「サポーターという表現は適切ではない」「ファン、という言葉が正しいのではないか」という反論が出てきたのです。

――確かに「サポーター」と「ファン」では印象が異なりますが、どのような意味の違いがあるのでしょうか。

堀埜 苦しい時も逃げずに一緒に戦い、時には叱ってくれる存在が「サポーター」、自分たちを支持してくれる存在が「ファン」です。自分の感覚を信じて、この言葉の重要を訴え、最終的には「サポーター」という言葉に決めました。現場への浸透のしやすさや、一人ひとりがプライドを持って働けるか、という観点を重視したわけです。

 周囲やプロの意見を尊重することは大切ですが、自社の未来を左右する選択だからこそ、最後は自分たちの考えを貫くことが大切ではないでしょうか。このように自分を信じることも「図々しさ」の一つと考えています。

「誰を指導役に選ぶか」で組織が変わる

――役職制度を廃止するなど、人事制度の抜本的な改革も行われました。そこにはどのような狙いがあったのでしょうか。

堀埜 一般的に店舗運営を行う上では「店長」「地区長」「エリア長」といった役職を置くわけですが、「長」が増えるに従ってその役職に就いた人が「命令する人」になり、本来の役割がわかりにくくなっていました。そこで、これらの「長」のつく役職を廃止して、代わりに4つの専門職「ソシエッタ」「オスピターレ」「マエストロ」「インプレッサ」をつくりました。

「ソシエッタ」は、地区の稼働計画や売上予測といった数字を管理する役割です。「オスピターレ」は、お客様目線でお客様の求めるサービスや接客を探り、従業員の仕事の割り振りや作業指示をします。「マエストロ」は、商品品質や教育といった専門性に応じた仕事をします。「インプレッサ」は、いま発生している問題を発見し、改善する役割です。

 このように「長」が付く役職を廃止することで、一人ひとりが自ら考え、上層部に判断を仰がなくても決断できる組織を目指しました。

――各自の役割を変えると、業務の進め方にも影響が出そうです。

堀埜 店舗のオペレーションにも変更を加え、現場に浸透させる必要がありました。そのためには「指導を任せられる人材」が必要だったため、全国店舗の視察を行い、人材を探しました。

 ここで選んだ人材を本部に異動させたわけですが、「優秀な人物」を選ぶのではなく「一番評価の低いエリアマネージャーのBさん」と「しゃべることが苦手で目標を見失っていた地区長のCさん」を抜擢しました。あまり結果が出ていない人材を育成することで、組織全体に刺激を与えたいと考えたからです。

 彼らには、キッチンやホールといった店内の改善方法や、新しい開店準備作業を教え込みました。すると、最初は嫌がっていた各地区への説明も、回数を重ねる中で上達し、自信をつけていきます。彼らが成長することで、周囲のメンバーのやる気を引き出すことにも繋がったはずです。

「周囲からの評価の高さ」と「教え方のうまさ」は別物ですから、意外な人物がよい教え方をしたりするものです。思い込みにとらわれず、一人ひとりの能力を見ることが大切ですね。

サイゼリヤの農業改革は、素人だからこそ実現できた

――サイゼリヤは自社農場で野菜を栽培するなど、外食業におけるSPAを目指すことでも注目されています。このような体制を築くまでに、どのような経緯があったのでしょうか。

堀埜 サイゼリヤは専用農場・専用工場を持ち、製造直販体制を築いていますが、その原型をつくるための農業改革が始まったのは、私の入社した2000年頃です。当時、同社は成長期に入っており、店舗も300店に拡大していました。コストダウンが重要視される段階でもあったため、食材の仕入れについても再検討が必要でした。

 当初私が着手したのは、農家のビジネスモデルの把握です。農業の素人である私が農家の方に質問をする中、米作りの驚くべき実態が見えてきました。それは、多くの米作り農家が赤字であり、損益計算もどんぶり勘定だったことです。

 例えば、コンバインは5年に一度交換しますが、使用した期間はトータル5週間ほどです。このコンバインに500万円かけているとすれば、1週間で100万円使っていることになり、全くペイしません。この傾向は、広大な農地を持つ北海道十勝などの農家も同様でした。

 そこで思い切って、コシヒカリといった単一の品種に対するこだわりを捨て、品種を増やし、収穫期間を増やすことで、「農家一人あたり延べ20~40ヘクタールの農地で生産できるようにする」という青写真を描きました。一般的には、1ヘクタールであれば大農家といわれますから、一人あたりの面積は数十倍です。一人40ヘクタールであれば、1俵5000円でも利益を出せる収益構造になります。

 近年ようやくこの成果が出てきており、各農家が利益を出せるようになってきました。米作りの名人がプロジェクトに加わっていたら改革などできなかったでしょうし、思い込みを捨てらからこその成果だと思います。

――自社農場はどのような経緯で出来上がったのでしょうか。

堀埜 当時、正垣会長から「自由に使っていい」と福島県白河市の一山を託されたことから、農業プロジェクトが始まりました。当初考えていたのは、標高900メートルから平地までの標高差を利用して、レタスやイタリアンパセリなどオールシーズンの生産体制を整えよう、ということです。この構想は、信州の農業をヒントにしました。

 しかし、開拓した農地は雨が降るたびに水没し、購入した苗の活力低下に悩まされました。ここで決断したことは、苗を仕入れるのではなく、自分たちで種から育てることです。そのために大きな苗場を作りました。

 この決断が功を奏し、苗の仕入れコストよりも格段に安く苗を用意できるようになり、自社で育てた苗は契約農家にも配るようにしました。これでさらなるコストダウンを実現し、その後、サイゼリヤ専用の苗の品種改良にも着手して、一層の生産性向上につなげています。

――試行錯誤を繰り返しながら、「外食のSPA」と呼ばれるサイゼリヤの原型が出来上がったのですね。

堀埜 未経験の課題に突き当たった際に、その道のプロに答えを聞きに行こうと考える人もいるかもしれませんが、そこからイノベーションは生まれません。与えられたリソースを使って自分たちでやってみる、結果が出ないときには「原因は何だろう」と考え、できる方法を考えることが大切です。

 失敗と呼べるのは、何もやらないことだけです。「できない」という思い込みを捨てて、図々しく言うだけ言ってみる、やるだけやってみましょう。ぜひ、皆さんにもリミティングビリーフの破壊を意識してほしい。そう願っています。