横河電機 常務執行役員 マーケティング本部本部長 CMO 博士(技術経営)の阿部剛士氏(撮影:今祥雄)

 コロナで一変した世界の市場とサプライチェーン、加速するDXへの対応など、将来の予測が困難な「VUCA(ブーカ)」時代において、日本の製造業を取り巻く環境はますます厳しさを増している。そんな中、「今こそ『マーケティング× DX』でこの状況を乗り越えるべき」と語るのが、横河電機 マーケティング本部本部長 CMOの阿部剛士氏だ。横河電機のマーケティングはどう変化し、どこへ向かおうとしているのか? 阿部氏に話を聞いた。

正しいマーケティングがあれば嵐を乗り切れる

――先が読めず、想定外のことが起こる状況を乗り切るには何が必要でしょうか。

阿部 剛士/横河電機 常務執行役員 マーケティング本部本部長 CMO 博士(技術経営)

1985年、現インテルに入社。インテル・アーキテクチャ技術本部 本部長、マーケティング本部 本部長、技術開発・製造技術本部 本部長を歴任。2009年以降、取締役、取締役副社長、取締役兼副社長執行役員に就任。2016年横河電機に入社、R&D、M&A、知財、新事業開拓、事業計画、標準化戦略、オープンイノベーション、工業デザインなどを傘下にマーケティング本部を統括し現在に至る。
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好きな言葉:「則天去私(そくてんきょし)」。夏目漱石の言葉で「自分を去って天に至る」とちょっと深い意味があるんです。もう1つは「大盛り無料」、大好きです。
注目のビジネスパーソン:富士フイルムの元副社長の戸田雄三氏です。私にとっては師匠みたいな方で「俺は嘘はつかないけど法螺(ほら)はフク」は名言だと思いました。
お薦めの書籍:『きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記』(日本戦没学生記念会 (編集))。こういう人たちの犠牲の上に今の生活が成り立っていたのかと思うと、学べる環境があることさえ、当たり前ではないと感じます。

阿部剛士氏(以下敬称略) 私たちは今、「VUCA時代×コロナ禍×DX」という嵐の真っ只中に置かれています。この嵐を抜け出すキーは、やはりDXです。私はDXの本質は、Dのデジタル技術ではなく、Xのトランスフォーメーション、変革だと思っています。今までの企業文化や従業員のマインドセットを変革すれば、それが企業を変革することにつながり、嵐を抜け出すきっかけになると考えています。

 そのためには、従来のように勘や経験だけで乗り切るのではなく、正しいマーケティング手法に基づき嵐の風向きを正確に測り、嵐を抜け出すための航路である企業戦略を立案し、乗組員である社員全員が、決断力を持って実行することが重要になります。

──阿部さんは「マーケティング×DX」で嵐を乗り切るべきというお考えですが、そもそも「マーケティング」をどう定義されていますか。

阿部 古典的な考え方におけるマーケティングとは、「誰に・どのような価値を・どのように提供するか」を意味します。この基本的な考え方は今でも変わっていません。しかし、「Market + ing(進化形)」とある通り、マーケティングは変化します。実際、日本ではマーケティングはかつては販売促進のことと認識されていましたが、現在は「いかに顧客に使い続けてもらうか、顧客の生涯価値であるLTV(Life Time Value)を伸ばすこと」がその主目的になっています。

 加えてマーケティングには狭義のマーケティングと広義のマーケティングがあります。狭義のマーケティングとは、新たな商品が開発された後の「どう提供するか、どう売るか」といった販売促進を含む業務を指します。本来、新商品開発は企業の将来を左右する大切な業務ですが、狭義のマーケティングは関わりません。

 対して広義のマーケティングは、企業の将来を担う新商品開発に最初から参加して「誰に・どのような価値を提供するか」を検討し開発を推進します。もちろん販売促進である業務も行います。私は「Marketing is Everything」と考えています。現代のマーケティングは企業活動の広い領域で価値創造を実践する「広義のマーケティング」を目指すべきです。

──なぜ、日本では「マーケティング=販売促進」という捉え方が生まれたのでしょうか。

阿部 日本は戦後、「良い物を適切な価格で作れば売れる」「Made in Japanであれば売れる」という時代が続いていました。そのため、マーケティングに関しては、営業用のパンフレットを作ってくれればそれで十分というくらいに思われていた時期がありました。

 加えて、日本では会社が将来にわたって事業継続していくこと、規模と安定性を重視し、生き残ることが大切とされてきました。また、アメリカのような民族の多様性がある国と比べると市場のニーズに大きな変化がないため、変化に対応する機会が少ないといわれてきました。

 対してマーケティングという言葉を生み出した米国では成長を重視します。国土も広く、対面営業はしにくい環境です。多様性が当たり前ですから、STP(セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング)や4P等が重要となるわけです。市場の変化も激しく、ものを売るには、変化を見越して誰に何をどうやって売るかを、常に考えることが必須なのです。その結果、マーケティングは市場の変化を見越して商品開発から関与することが当たり前になります。

 グローバル化が進む今、日本のビジネスも海外市場の多様性や激しい変化を意識せざるを得ない状況となっています。米国的なマーケティングの発想が重要になってきたと言えます。

変革のきっかけは脱炭素、自社を分析しSDGsに軸足を移す

──そうした状況の中で、横河電機はマーケティングの対応範囲を大きく拡張しましたね。

阿部 世界規模で進んでいる脱炭素のムーブメントに会社として積極的に対応する必要があります。特にオイルメジャーなど、当社のお客さま自身が戦略的転換期にあります。

 私が2016年に横河電機から誘いを受けて入社しようと考えたのも、そうした見直しへの期待からです。私は入社に際して「もしマーケティングの力で横河電機を変革したいなら、従来の販売促進といったマーケティング領域以外に、新規事業開拓、R&D、M&A、知財、特許戦略などもマーケティング部の傘下にしてほしい」と言いました。Strategy、Science、経営、「誰に・何を・どう売る」に関する全てを管轄したいと言ったのです。

 マーケティング部にこれほどの機能を持たせた企業は日本にありませんでした。横河電機は本当に全部管轄して良いと言ってくれたのです。大変ありがたい申し出です。お受けしたのは当然です。

 一見すると管轄領域が多いように見えますが、マーケティングの力で企業改革をするなら、このような業務もないとなかなかできないのです。横河電機のマーケティング本部は経営戦略本部に近い「インベストメントセンター」の位置付けです。

 横河電機をどう変革すべきかですが、そのための戦略の軸を私はSDGsに置きました。2015年に国連がSDGsを発表したのを受けて、横河電機のこれからの軸はSDGsだと思ったのです。また、横河電機の持つ「測ること」「制御すること」「インフォメーション」の3つの重要な機能が、SDGsの17の目標のうち12で貢献できると分かりました。

今の変化は指数関数的、だからデジタルを使う

──横河電機は「マーケティング×DX」に力を入れていますが、マーケティングにデジタルが重要である理由は何でしょうか。

阿部 まず大きな理由は、昨今、社会や技術の変化がものすごく速くなり、消費者の好みも多様化しています。とても人間の本来持っている感覚では追いきれないからです。昭和の頃は人の目で見ても「ああ、なんか変わってきたな」と変化の具合が見えたのですが、現在は科学的なデータを集め、分析しなければ変化を正確につかめません。そのためにはデジタルの力が不可欠です。

 そして、取得したデータに基づいて「物が売れる」効果的な施策を導くには、物の良さに加え、その物が顧客体験をいかに向上できるかが大切になっています。今、顧客体験は何かもデータで理解する必要があります。データがまずあり、それを正しいマーケティングで分析する。そのために、DX的なアプローチが必要になっています。

 また、SDGsを重要視する現代マーケティングでは、販売後も絶え間ない改良やカスタマー支援が必要ですし、顧客との関係も、私たちが顧客を見つけるのではなく顧客に見つけてもらうよう常に情報を発信することが求められます。

 こうした施策において、DXで変革すべき部分がたくさん存在します。テクノロジーはHowの部分です。お客さまから「どのようにDXしたら良いか?」と聞かれることも増えています。もはやマーケティングにDXは必要不可欠であり、「DX or Die(DXか死か)」だとも思っています。

──横河電機のマーケティングが今後目指す姿はどのようなものでしょうか。

阿部 横河電機のマーケティングは、単にプランを作って終わりではなく「自分でボールを持って走る」という実行力も備えています。大正から昭和を生きた哲学者、安岡正篤の「三識」という言葉があります。人が物事を実行し成し遂げる際に必要な3つの識「知識、見識、胆識(たんしき)」を指す言葉です。この中で重要なのは胆識です。胆識は決断力であり実行力であると言うことができます。知識を身に付け、見識を養い、胆識を備えることで、人は困難な物事を実行できるようになるのです。

 横河電機のマーケティングは、Strategy、Science、経営です。胆職を持って「何を誰にどうやって売るか」の全てに関与し、その結果の「売る」という実行にまで徹底してこだわりたいと考えています。