FANY代表取締役社長の梁弘一氏(撮影:内海裕之)
吉本興業がエンターテインメントのデジタル化を加速している。その軸となるのが2021年に立ち上げたプラットフォーム「FANY(ファニー)」だ。オンライン上でのチケット販売やライブ配信、ファンクラブやクラウドファンディングを運営する。2022年からはメタバース事業にも進出し、今年5月には、ゲームのグローバルプラットフォーム「Roblox(ロブロックス)」上でゲーム開発などを行う「FANY X Lab on Roblox」の設立を発表した。新技術を積極的に取り入れながら、多様化するファンとの関係を進化させる吉本のDX戦略について、FANY事業を統括する吉本興業ホールディングスの子会社、株式会社FANYの梁弘一代表取締役社長に話を聞いた。
「いまDXを加速させないと生き残れない」という危機感
──コロナ禍の中で「FANY」を立ち上げました。導入の経緯や目的、これまでの実績について教えてください。
梁 弘一/FANY代表取締役社長1967年生まれ、大阪府出身。1997年吉本興業入社後、インターネットサービス、デジタルコンテンツビジネスを推進。 2021年4月、B2Cエンタメプラットフォーム「FANY」のサービス立上げを主導。2022年5月FANY代表取締役社長に就任。 2022年5月に「FANY X」としてアバターエージェンシー事業、メタバースプロデュース事業のプロジェクトを統括。
梁弘一氏(以下敬称略) エンタメのDXをこのタイミングで加速させないと生き残れないという危機感がありました。
コロナ禍が始まった2020年の3月に、常設劇場を含め、吉本興業の主催興行はすべて中止になりました。芸人さんに何か仕事をしてもらわないといけないということで、自宅からYouTube配信をする「吉本自宅劇場」をはじめ、その後、有料ライブ配信をスタートしました。
当時は「ONLINE チケットよしもと」でチケットを販売していましたが、グッズのEコマースやファンクラブ、クラウドファンディングなどいろいろなサービスが個別に存在していたので、2021年4月に「FANY」という一つのブランドに統合するところから始めました。
この時、「よしもと」という名前をあえて使わないことを決めました。コンテンツを幅広く捉えたいと考えたからです。つまり、吉本興業だけでなく他事務所さんのコンテンツも扱いたいし、芸人やタレントのみならず、音楽やアイドルのチケットも扱うプラットフォームに育てたいと。
実際にいま、事務所間の交流ライブなども積極的に行っていますので、他事務所さんにもお声がけし、いろんな事務所のチケットを取り扱っています。放送局さまとの共催イベントや音楽、ミュージカルのライブも増えてきています。これはあえて「よしもと」のブランド名を使わなかったことが活きています。
「FANY Channel」の画面イメージ
──FANYにはファンの顧客情報が蓄積されていきます。こうしたデータをどのように活用されていますか?
梁 FANYを利用する際には「FANY ID」を作っていただく必要があります。このIDを通じてお客さんをより正確に知ることができています。
例えば、思っていた以上に40代、50代のお客さんがアクティブですし、数年前より女性比率が上がってきている。一方、地域的に関西が強いのは変わりません。属性に加え、お客さんのニーズを細かく把握できるようにもなっています。寄席公演が好きか、単独ライブや企画ライブが好きかとか。
こうした顧客情報を蓄積・分析し、マーケティングのオートメーション化とパーソナライズ化を進めています。例えば、Aという芸人が好きな人はBという芸人も好きになる傾向が高いので、Bの公演情報もあわせてメールでプッシュするとか。一定の成果は出ていますが、さらに精度を高めていく必要があります。
お笑い芸人の「ファンダム」をどう形成するか
──「FANY」には、「FANYコミュ」という、ファンクラブとオンラインサロンをミックスしたサービスがあります。従来のファンクラブとの違いは何でしょうか?
梁 FANYを立ち上げたのは、オンラインサロンが流行り始めていた頃でした。集まった会員も巻き込んで皆で企画し、何かを作り上げていくのがオンラインサロンの特徴だと思います。
一方、従来のファンクラブは、一方的に会報誌が届けられるなど、ファンとタレントとの距離が遠いぶん、ファンにとってタレントは憧れの存在だったと思います。この二つの要素を併せ持つコミュニティを作れないだろうかと考えたのが「FANYコミュ」です。
チケットの先行販売や、会員向けコンテンツを配信するだけでなく、ファンと芸人の交流、コミュニティメンバー同士の交流なども行っていきます。自社でBtoCプラットフォームを持つ強みを活かし、デジタルを使ってのファンコミュニティの強化に取り組んでいます。

──「ファンダム(fandom)」(様々な分野における熱心なファンたちと、彼らによって形成される文化)という言葉が広がるなど、ファンコミュニティの在り方は経済活動に大きな影響力を及ぼすようになりました。
梁 お笑い芸人には、アイドルと違う部分もあれば、似ている部分もあります。
「AKB48」などアイドルグループのビジネス、それから世界的な現象となった「BTS」の推し活エコノミー。そういったファンビジネスの流れを勉強しながら、吉本のファンコミュニティをどう形成し、どうビジネスチャンスにつなげていくかが、これからの大きなテーマです。
ファンの方たちは、自然発生的に盛り上がることもありますが、こちらからコンテンツや企画を仕掛けることで盛り上がる部分も大きい。これにデジタルマーケティングツールやSNSなども活用して、さまざまな仕掛けをしていきたいと考えています。
劇場もテレビもYouTubeも「全部やる」のがデフォルトの時代
──従来の「劇場」「テレビ」「ラジオ」に加え、コロナ禍で広がった「ライブ配信」、芸人にとっても当たり前になりつつある「YouTube」、そして「ファンコミュニティ」と、アナログからデジタルまで芸人の表現の場は多様化しています。優先順位やバランスはどう考えていらっしゃいますか?
梁 劇場は吉本興業の根幹です。365日満席にするために、FANYとしてもやれることはすべてやっていく。一方、コロナ禍で始めたオンライン配信は、コロナが落ち着いた後もニーズは増え続けていて、貴重な収入源になっています。
ですから劇場も配信もYouTubeも、いま挙げられたものはすべてやるのが当たり前であり、デフォルトである、というのが私の認識です。それはマネタイズのためでもあるし、ファンとの接点を増やすためでもあります。
テレビであれだけ売れっ子のかまいたちが、YouTubeにも力を入れて成功しています。テレビを見ない若い方が増えているいま、ファン獲得の「入り口」を増やしていく取り組みは必須なのです。
「かまいたちチャンネル」
YouTubeでの人気企画が、劇場公演につながるパターンもあります。お笑いコンビのニューヨークがYouTubeで配信していた、芸人さんの人間関係を解説する「若手芸人相関図」が人気を博し、劇場ライブ化が実現しました。この時はいつも無料でYouTubeを見ているファンの多くがチケットを買って、劇場に足を運んでくださった。デジタルの強化は、アナログの強化にもつながります。
ニューヨーク Official Channel/OmO
「新しいものには早めにのる」新技術に積極姿勢
──さらにはFANY Xプロジェクトとしてメタバース空間(月面劇場)を作ったり、ゲーム開発に参入するなど、BtoCサービスを拡大しています。新しい技術は積極的に取り入れる方針ですか?
梁 わが社には「とりあえずやってみる」というスピリットがあります。うまくいく場合も、いかない場合もあるのですが、新しいものには早めにのってみようという精神ですね。
メタバースについていえば、現状、ビジネス規模は広がっておらず、10年後にどうなっているかはわかりません。ただ、YouTubeの初期の頃に感じが似ています。2003年から2010年頃、「近い将来、必ずYouTuberという仕事が来ます」とGoogleの方に教えてもらったんです。「ほんまですか?」と半信半疑ながら準備を始めたら、いま、芸人さんがやるのが当たり前の時代になりました。
メタバースについても、早いうちからノウハウを溜めておくことで、将来優位に立てるかもしれないと期待しています。
FANY X 月面劇場
──今回、ゲームの分野で「Roblox」に参入したのはなぜでしょうか?
梁 メタバースは人が大勢いるプラットフォームで事業をやるのが正しい戦略だと思ったからです。Robloxは世界に6600万人のデイリーアクティブユーザーがいるゲームを中心としたメタバースプラットフォームです。日本ではまだそれほど知られていませんが、すでに小中学生には人気です。
「ダイアン落とし」(Roblox上のゲーム) ⒸFANY X Lab
吉本興業には、ゲームクリエイターとしても活躍する野田クリスタルや、YouTubeのゲーム実況やゲーム好きの芸人さんが多数います。芸人さんのクリエイティブを活かしたRoblox上でのゲーム開発をはじめ、吉本のIPをデジタルアイテムで販売したり、さまざまな企業とコラボして、バーチャル空間上の新たなビジネスに挑戦をしていきます。
すでに芸人さんの仕事はその好きなこと、得意なことによっていろいろな分野に広がってきています。本を書く芸人もいれば、音楽をつくる芸人もいる。そして新しいテクノロジーが生まれると、芸人さんのクリエイティブを活かせる場は広がります。それぞれの得意分野を発揮できる場を用意することも、我々の仕事です。

──最後に、吉本興業グループ全体としてのDXの未来像を教えてください。
梁 グループ全体としてBtoC事業を強化していきます。その一つとして、4月に映像コンテンツ制作やライブ制作、アーティストの企画開発によるエンターテインメントビジネスの拡大を目的に、NTTドコモさんとの業務提携を発表しました。
FANYの代表として言えば、吉本はタレント事務所でありIPホルダーであると同時にプラットフォーム事業もやっていくということです。
扱うコンテンツの幅もさらに広げていきたいですね。たとえばグローバルボーイズグループ「INI」のチケットをFANYで販売することで、ファン層が広がりました。事務所の垣根を超え、ジャンルを超えて、ファンの方にあらゆるエンターテインメントを楽しんでいただくプラットフォームを提供すべく、これからもデジタル化を加速させていきます。
