「ピープルズビジネス」と呼ばれる保険事業。昔は紙と鉛筆の商売ともいわれていたが、ペーパーレスが進んで、残ったものは人だけという状態になった。だからこそ重要になる、人的資本経営。東京海上ホールディングスではどのように人材を育て、評価し、多様な人材が力を合わせて共通の目的に向かって進むための取り組みをしているのか。人材戦略のリーダーであるグループCHROに聞いた。

保険事業には人にしかできないことが多い

――人材の重要性は、多くの業種、企業が標榜していますが、東京海上グループが人的資本経営に特に力を入れる理由に何か、違いはあるのでしょうか。

北澤 健一/東京海上ホールディングス 専務執行役員CHRO、東京海上日動火災保険 専務取締役

1988年東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)入社。営業、営業開発部門を経て、損保・生保の商品開発、管理業務に従事する。現在はグループ人事総括として、東京海上グループ全体の人事戦略を指揮。グローバル経営人材の育成、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)推進、エンゲージメント向上に取り組む。
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座右の銘:「陽転思考」/意志の力で現状を変えていくことに共感
お薦めの書籍:『Think Again』(アダム・グラント著)/社員との対話でも引用している

北澤健一氏(以下敬称略) 保険事業は「ピープルズビジネス」と呼ばれています。昔は紙と鉛筆の商売ともいわれていましたが、ペーパーレスが進んで、残ったものは人だけという状態です。人が紡ぐ信頼、信用が本当に重要であり、人的資本、D&Iと言われる前から当社のポリシーとして持っていました。

 保険という商品は、手に取れる形あるものではありません。お客さまにとって最適な補償、サービスを考え出せるのは人しかいないということです。また、事故が起こったときにお客さまに寄り添ってサポートすることも、人にしかできないと思っています。

 そういうビジネスの特性を踏まえても、人が大切だということです。これまでと変わらず、人への投資は積極的に行っていきたいと考えています。当社で働いて誇りを持ってもらうためにも、高処遇を実現したいと経営として考えています。

 ただ、トップ水準の処遇を約束するからには、社員の側にも責任の重さ、広さを理解してもらう必要があります。プロとしての専門性を高めるために、自己研さんもしてもらわなければいけません。

 その上で、個としての成長、組織・同僚に対する貢献支援などを行い、トータルにトップ水準の人材でいていただく必要があります。それを期待してさまざまな仕組みやサポート策を考えていきたいと思っています。

人材を評価する際に重視する4つのポイント

――人材を育てるためには、正しく評価する仕組みを持たなければいけません。東京海上グループではどのように人材の特性を把握し、育成していますか。

北澤 当社が人材を評価する際に重視するポイントは幾つかあります。まず、当社のパーパスである「お客様や地域社会の“いざ”をお守りすること」に、どれだけ共鳴、共感しているかが非常に大きいところです。

 これを前提にして、人を見ていく際に私が重要だと思っているのは、インテグリティ(誠実、真摯であること)です。ピープルズビジネスである以上、社員のインテグリティは非常に重要です。

 次に来るのが、行動様式として自ら考えて、発信し、行動する人材です。これは採用活動でも、現役社員に対しても強く求めているものです。

 もう一つ加えるなら、異文化コミュニケーション力です。当社は海外事業を展開しているだけでなく、国内事業にとっても、多様性が成長戦略の一丁目一番地だと思っています。異文化でも、高いコミュニケーション能力を発揮できる社員であってほしいと考えています。

 これらの要素が、どのように浸透しているのか、また、個人個人の中に定着しているのかを知ることも必要です。

 そこで当社ではグローバル共通で、「カルチャー&バリューサーベイ」を実施しています。経営理念への共感、グループへのアタッチメントを調査しているのですが、社員のパーパスへの理解度をはかる重要な指標になると思っています。

――多様な人材が交流することで、どのような効果が生まれていますか。

北澤 ダイバーシティの成果として、グローバルベースで経験、知見を集約している点が挙げられます。それが商品開発の部分、業務プロセスの部分で新しいシナジー効果につながっています。

 例えば、北米でM&Aによって当社グループに参加している企業があります。ここはイベントのキャンセル保険の引き受けノウハウや再保険の手配など、ニッチですがスペシャリティが発揮される保険の分野に非常に強い保険会社です。

 グローバルでのデータの蓄積と知見が加わることで、人脈も含めてグループ全体のノウハウが獲得できたと思っています。

 グローバルな知見を融合して保険のプロとしての技術力を獲得し、そこに、説明する担当者の人間力が加わることで、当社が目指すピープルズビジネスの強化を図ってきたいと考えています。

M&Aを決める最重要事項は「カルチャーフィット」

――海外の企業をグループに加える際、人材の交流だけでなく、企業そのものが持つカルチャーはどう融合させているのですか。

北澤 お客さまの“いざ”をお守りするという当社の理念を実行するために、経営戦略として「グローバルなリスク分散」を図っています。自然災害などで特定の国や地域が被害を受けても、リスクを分散できるようにするためです。

 一方で、当社のようなグローバルな保険業は「強いローカルカンパニーの集合体」だともいえます。日本で作った商品を米国に持っていってもそのまま売れるわけではありません。各国の法制度、文化など、各種の要素を勘案して商品を組成しており、事業を行っています。

 そのため、M&Aによってグループに加わったとしても、基本的には各グループカンパニーのオートノミー(事業の自主・自律)を尊重することが重要だと考えています。

 M&Aの対象企業をどういう観点で決めているかというと、大きく3つのポイントがあります。

 まず、その会社固有の強いビジネスモデルがあるか。次にトラックレコード(事業の実績)が堅調か。そして3つ目は最も重要なカルチャーフィットです。「ルック・ビヨンド・プロフィット(世のため、人のため)」など、当社が掲げているビジョンに組織として共感、共鳴しているか、それを慎重に確認します。

 これらが確認でき合流していただけたら、基本的に現地の経営陣に運営を任せていきます。

 グループによるガバナンスはもちろん効かせますが、ローカルカンパニーとしての強みはそのまま継続し、事業について東京海上本社の流儀を押し付けることはしません。自主性を保ちながら、横連携のシナジーを加えることで、さらに成長できると考えています。

 同時に、統合した企業の経営陣にはグループ全体の経営チームに加わってもらい、グループ経営のレベルアップと専門性の獲得を図っています。経営陣のダイバーシティも強化しているのです。

会社にとっての利益は、人間にとっての空気と一緒だ

――グループ全体の社員に、パーパス、ビジョンの浸透を図る取り組みに力を入れています。なぜでしょうか。

北澤 多様な人材が力を合わせて共通の目的に向けて進むことは、不確実な環境で企業が成長するために欠かせません。そのため、パーパスやビジョン、D&Iについて改めて考える機会として、「マジきら会」というものを実施しています。真面目な話を気楽な雰囲気の中で論議するという意味で、社員と役員が同じテーブルで対話する場も設けています。

 特にM&Aを実施した企業には、海外であってもグループのCEOが直接現地に行って対話をしています。今では海外のメンバーも、「マジきら会」という日本語を使うほど浸透しています。

 他にも、オンラインで1000人規模が参加する英語のイベント「TOKIO TALKS」など、さまざまな対話の機会を設けており、活発な議論が交わされます。

 われわれは何のために仕事をしているのか。東京海上グループは、どういうことを大切にしているのかといったグループの理念を確認し、語り合っています。

 当社のグループCEOである小宮暁は「会社にとっての利益は、人間にとっての空気と一緒だ」と話しています。人間は空気がなければ生きていけませんが、空気を吸うために生きている人は1人もいません。

 それと同じで、会社は利益がなければ存続できませんが、利益のために会社が存在しているわけではありません。では、何のために会社はあるのか・・・。こういう話をすると、相手の方も身を乗り出してくるわけです。

 私も対話の場に参加しますが、現場の社員は経営陣と対話したいという意欲が非常に高いと再認識しています。国や地域の違い、国内であっても、エリアや年齢、職位によってバラエティに富んだ意見が飛び出してきますから、われわれ経営陣にとっても大いに刺激になっています。

大事なのは個々の社員が将来、どういう働き方をしたいか

――ビジョンの共有とともに、人的資本の活性化には社員のリスキリングも重要です。どのような取り組みをしていますか。

北澤 リスキリングのテーマは、まずは誰に対しても学んでほしい、例えばDXについての知識や、コミュニケーションにとって重要な英語力などがあります。

 ですが、それ以上に大事なのは、個々の社員が将来、どういう働き方をしたいかだと思います。それを真剣に考えてもらって、自分に本当に必要なリスキリングのテーマを決めていくことが非常に重要です。これをもっと踏み込んで考えてもらう風土を作らなければいけないと考えています。

 現在の保険のビジネスが、未来永劫続くことはあり得ません。例えば自動車は、自動運転技術が進化して、単純な事故が起きなくなります。当社の屋台骨である自動車保険のビジネスは、長い時間をかけて徐々に細っていくことは明らかです。

 では、どういう領域で当社は存在していくのかと考えたときに、今学ぼうとしているものとは全然違うはずです。そこを私たち経営陣が指し示し、社員にリスキリングを求めていくことが必要だと思っています。

 当社は次期中期計画の策定に向けて、将来価値を生み出すと考えられるものを「Future Value」として設定しています。今後はこういう領域のPoC(実証実験)をしていくということを示すと、「プロジェクトリクエスト」という現業を担いながらプロジェクト単位でコーポレート部門に参画できる制度に、全国の社員から参加希望が入ってきます。

 例えば、当社が既に取り組みを進めている分野の1つにヘルスケアがあります。保険とは違うビジネスモデルを検討している中で、この領域の知識を学ぼうという社員が多く出てきている状況です。

 また、今の人事の重要なキーワードに「パーソナライゼーション」があります。

 例えば、狭義のリスキリングを考えると、中高年の学び直しがあります。私は、ミドルの社員には自分の得意技を見極め、それをこれからの時代の仕事で生かすための自己研さんが必要だと思っています。

 社員をひとくくりに捉えるのでなく、マネジャーが一人一人の社員が志向するものをよく聞き、リスキリングをわがことと捉えてもらい、発意を引き出すことをしていかなければなりません。

 これからの保険会社に求められる人材は、現状を是とせずに、変革・挑戦ができる人です。組織として変革や挑戦を後押しできる環境を提供し、人材の活躍の場を増やしていきたいと考えています。

人事部門は経営戦略実現の戦略を描いて実行することが重要

――人的資本経営を司る組織として、人事部門自身はどう変わっていくべきとお考えですか。

北澤 まず、人事は社員の管理部門ではないということを認識しなければいけません。経営戦略に連動した人事戦略で、付加価値を生み出す部門になるという課題意識を持つことが必要です。

 私は、日本の人事の仕組みはよく考えられていると思っています。採用から始まり、育成、配置、福利厚生、給与、再就職、年金といった業務が全部一体となって運用されています。

 そのため、よくいわれるように経路依存性があり、どこか1カ所を変えてもうまくいきません。

 つまり、全体を同時並行で変えなければいけないのです。人事のトップとして、この問題意識を持って全体的な変更に取り組んでいるところです。

 人事部門の役割として、経営戦略を実現するための戦略を描いて実行することが非常に重要で、そういう役割を人事部門が果たせれば、企業価値は必ず向上すると思っています。