1600年(慶長5)に起きた関ヶ原の合戦により、徳川家康は力を伸ばし、豊臣家は凋落の途をたどることとなった。では、関ヶ原合戦は当時の権力構造に、具体的にはどのような影響を及ぼしたのだろうか。 まず、関ヶ原合戦の結果として、豊臣秀頼を支えるはずだった五大老五奉行体制が崩壊してしまった。五大老のうち、西軍主力だった宇喜多秀家はA級戦犯として八丈島に流され、毛利輝元と上杉景勝も叛乱に荷担したため、大幅減封となって力を失った。残る前田家のみは、関ヶ原で中立を保ったため100万石の領地を維持している。 また五奉行のうち、挙兵の首謀者だった石田三成は敗戦後に捕らえられて斬首。西軍に荷担した長束正家は自害、