先祖を守るため、子孫は墓や仏壇を継承していき、いずれはその子孫も先祖になっていく――。 江戸時代より続いてきた弔いの慣習は、一般的には長男が祭祀継承権のすべてを相続する仕組みである。長男以外はイエから出て、新しいイエをつくり、そして、最初の先祖になる。これが、江戸時代の寺請制度以降の、日本の先祖崇拝の考え方だ。 しかし例外的にイエから外れ、一族墓とは別に大きな墓を立てて祀られてきたのが、英霊である。遠く戦地において失われた若き命は、菩提寺に丁重に祀られた。 戦前、各宗門は、檀家の中で戦死者が出た場合の慰霊について、末寺に指示している。戦死者の戒名には、もれなく最高位の「院」や「居士」が与えられ
なぜ軍艦の砲弾が寺の境内にあるのか?仏教寺院が残す戦争の記憶
英霊は「奥津城」「靖国神社」「護国神社」に祀られるも、回収困難な遺骨は50万柱以上
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