承久3(1221)年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の執権である北条義時に、討伐の兵を挙げた「承久の乱」。朝廷と武家政権が日本の歴史上、初めて武力で争うことになる。朝廷に再び権力を取り戻そうとした後鳥羽上皇だったが、挙兵からたった1カ月で敗北。幕府側の大勝という結果に終わった。はたして承久の乱は、その後の鎌倉幕府にどんな影響を与えたのだろうか? 北条義時や北条政子、そして三浦義村などキーパーソンの動向も含めて、偉人研究家の真山知幸氏に解説してもらった。(JBpress編集部) 承久の乱において、上皇側の総大将に任じられたのが、後鳥羽上皇の近臣、藤原秀康である。秀康はまず、在京中の御家人である三浦胤義を仲