石田退三氏や豊田英二氏の庇護の下での大野耐一氏の改革は、当時は「大野方式」という名で呼ばれ、大野氏個人が実験的にやっているというスタンスでした。社長に就任した豊田英二氏は、大野氏の功績を讃えた上でこれを「トヨタ式生産方式」と命名し、今後、会社を挙げて取り組む方式であると宣言しました。