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ロシアの旅行代理店が海賊狩りクルーズを企画?
ソマリア沖で乗客に海賊を撃ち殺させると言うのだが・・・

2009年10月15日(Thu) 井上 徹

 今年の6月下旬、奇想天外なニュースがインターネットを騒がせた。記事によると、ロシアの旅行代理店がソマリア沖のクルーズを企画した。ソマリア沖といえば、わが国の海上自衛隊も派遣されているほどの海賊多発地帯。

 この船も完全武装なのだが、それだけでなく、乗客に銃を持たせて、海賊を撃ち殺させるのだという。つまり、これは「海賊サファリツアー」なのだ。

文明が爛熟した果てを描いたロシア映画

ソマリア海賊の襲撃が再び増加傾向に、米海軍

ソマリア沖で海賊を撃ち殺すクルーズをロシアの旅行代理店が企画した?〔AFPBB News

 このニュースを見て思い出したのが、最近発売された「ロシア革命アニメーション コンプリートDVD-BOX」に収録されている『射撃場』(1979年、ウラジーミル・タラソフ監督)という作品。

 “退廃した” 資本主義の米国で、射的の的として雇われた青年の運命を描く奇抜なアニメで、ソ連時代のフリージャズをBGMに使うなど、なかなかの傑作だ。ロシア文化には、時々予言的な作品が現れるが、『射撃場』も文明が爛熟した果てを予見したのだろうか。

 しかし、ロシアがいつの間にか “退廃した資本主義国” の一員となったというわけではない。海賊サファリのニュースに日本のマスコミが飛びつくことはさすがになかったようだが、ネットメディアでは、海外の珍ニュースとして流すところが出てきた

 それを読んだ人たちが口コミで伝えて広まり、一時話題になり、変だと思ったまともな人が、このニュースの元ネタ探しをやったところ、意外なことが分かった。

 元々は、「ソマリア・クルーズ」というジョークサイトが火元らしい。このサイトは5月頃に開設されたと見られるが、内容はロシアとは関係なく、むしろ、「ツアー参加者の声」として載せられているのは、米国人とドイツ人なのだ。

オーストリアの新聞で “野蛮なロシア人” に変奏された

 それが、6月にオーストリアの新聞が取り上げた時には、主催者はロシアの会社となり、ロシア人のコメントまで付け加えられている。これがネットを通じて、あっという間に広まったという。なお、このオーストリア紙のページには現在、記事内容が「諷刺」であり現実の話である証拠はないとの注記が英語で明確に掲げられているが、当初は目立たない注しかなかったようだ。

 どうやら、力を着実に伸ばしつつあるロシアに脅威を感じているヨーロッパの誰かが、ジョークサイトのネタを元に、“野蛮なロシア人” の話へと変奏したということのようだ。しかし、元のジョークサイトよりも、ロシア人の話となったとたんにニュースバリューが出て広まったということには、注目してもいいかもしれない。

 ここには、ロシア人が他国の人間からどのように見られているかが表れているように思う。そして、これを話題に取り上げた人々のロシア認識も。

 他国を知るというのは、思ったほど簡単なことではない。誰もがそこを旅行で訪れることができるわけではないし、その国の出身者と気軽に知り合えるとは限らない。だから、知るよすがとなる最初の入り口は、その国をよく知る人が書いた論評ということになるだろう。

 そう考えた時、日本におけるロシア論で入手しやすいものには、まずどのようなものがあるだろうか。

司馬遼太郎『ロシアについて~北方の原形』は好著だが

 恐らく最も読者が多いのは司馬遼太郎『ロシアについて―北方の原形』(文春文庫)だろう。『坂の上の雲』や『菜の花の沖』といった大作を書いた人の論だけに、かなりいろいろな勉強をした跡がうかがえて、好著だとは思う。しかし、この本はロシアそのものよりも、ロシアに日本がどう関わってきたかということに関心の焦点があるため、ロシア人の姿、あるいはロシアという国家の姿は意外と浮かび上がってこないような気がする。

 個人的に印象深かったのは、井筒俊彦の『ロシア的人間』(中公文庫)だ。後にイスラム研究の大御所となる著者が、大学を出たばかりの20代の頃、大学の教壇で講義するために書いた教科書だ。

 基本的には文学史だが、現在のロシア文学研究者が思いもよらないような指摘がいろいろと出てくる。20代の若者が書いたとは思えないほどの素養の厚みと数多くの文学作品を読み込んだ跡を思わせる。文学史を主題としながら、ロシア人とはどのような人々かに切り込もうとしていて、刺激に満ちている。

 川端香男里の『ロシア―その民族とこころ』(講談社学術文庫)は、文学研究の碩学が書いたロシア論だ。日本のロシア研究者は、意外なほどまとまったロシア論を書いていないのだが、その中では珍しく、短い中にも百科事典的な目配りを見せ、様々な分野のロシア研究の成果を盛り込んでいる。教科書的な退屈さはあるものの、一定の学問的水準を満たしたこのような本を踏まえたうえで、ロシア論は深められるべきであろう。

日本以外でのロシア論も様々

 さて、海外にももちろん、様々なロシア論があるが、ここでは古典的なロシア論を1つ紹介しておこう。19世紀に書かれたものだが、『1839年のロシア』(1843年)という書物だ。書いたのはアストルフ・ド・キュスティーヌ侯爵(1790-1857)というフランス人。

 ソクーロフ監督の『エルミタージュ幻想』(2003年)という映画で、全編の案内人的役割として登場する外国人は、この人をモデルにしている。キュスティーヌは、裕福な貴族の家庭に生まれた。その時既に始まっていたフランス大革命の中で、将軍だった父方の祖父と外交官だった父は断頭台の露と消え、母も逮捕され、自身は革命に否定的な保守派として、詩や小説を書くようになった。

 トクヴィルが1835年に出した『アメリカの民主政治』に刺戟を受けたことと、自身のスペイン旅行記がちょっとした成功を収め、バルザックからロシア旅行記を書くよう勧められたことから、1839年の7月から3カ月足らずをロシアで過ごした。

 滞在中、ニコライ1世に謁見しているが、この皇帝はロシアの専制政治を制度として確立させた人物として知られている。トクヴィルが民主政治の優位を米国に見出したのに対抗して、ロシアに君主制の優位を見出すつもりでロシアに出かけたキュスティーヌが出合ったのは、専制政治の恐怖だった。そして、この時の見聞を『1839年のロシア』にまとめ、恐怖による専制政治を告発したのだ。

 キュスティーヌは自らゲイであることを公言していた人物で、それゆえに自由・解放を求めており、ロシアの専制政治を恐れたという説もあるが、いずれにせよ、この本はヨーロッパで評判を呼んだ。ロシアでは、ニコライ1世が激昂して発禁処分としたが、1910年にはロシア語の抄訳が登場。しかし、ロシア革命後、レーニンが再びこの書物を発禁にとしたという。

 米国の駐ソ大使を務めたソ連通のジョージ・ケナンも、この本について「スターリンを生んだ国」を最もよく描いた、つまり帝政・社会主義の両時代を通じて変わらないロシアの専制体質を的確に描いているものとして賞賛し、欧米では今なおロシア論の古典として読み継がれている。ちなみにケナンは、ソ連に対する「封じ込め」政策の立案者としても知られており、米ソ冷戦の立役者であった。

 なお、米国では、第2次世界大戦時に、敵国研究の一環としての意味もあり、主要各国の「国民性」の学術的研究を大がかりに実施していた。例えば、日本人論として有名な『菊と刀』などは、その成果を踏まえて書かれている。

 あるいは、GHQ最高司令官のマッカーサーが日本人を「12歳の子ども」と言ったことはよく知られているが、これは「国民性」研究グループが依拠していた、フロイト派発達心理学を応用した文化の発展段階論を踏まえた発言と考えられる。

米国のグループはロシアについて「むつき論」を著した

 ロシアについても、このグループによる研究が行われたが、「むつき論」と呼ばれるマゾヒスティックなロシア人像しか描けずに終わったようだ。襁褓(むつき)というのは、赤ん坊をくるむおしめのことだが、ロシアの場合は下半身だけでなく、頭からつま先まで全部ぐるぐる巻きにするのが、伝統的なスタイルだった。

 この手足を動かせない状態がロシアの国民性を形作り、皇帝ないし皇帝的指導者の下で唯々諾々とする国民が生まれたというのである。

 「むつき」が原因かどうかはともかく、ロシア人が「運命」に対する独特の弱さを持つように感じる場面は、少なからずある。2007年のロシア映画『ルサルカ―水の妖精の恋』(アンナ・メリキアン監督(10月17日に東京で上映会あり)も、運命の力を巡る物語という側面がある。あるいは、ヒット作の『ナイト・ウォッチ』『デイ・ウォッチ』のシリーズも、明らかに運命が問題にされている。

 国民性を巡る無人島の小話も、そうしたロシア人の運命に対する態度がよく表れているものだろう。有名な小話でいくつもバリエーションがあるのだが、とりあえず1つ紹介しておこう。

 無人島に男が2人と女が1人取り残された。さて、どうなるか。

 イタリア人の場合、男2人が女を巡って争い続ける。
フランス人の場合、女性が片方の男を夫とし、もう片方を愛人にする。
ドイツ人の場合、女は片方の男と結婚して、もう一人の男は戸籍係を務める。

 オランダ人の場合、男2人がカップルとなり、女のことは忘れる。
アメリカ人の場合、女は片方の男と結婚して子供が生まれるが、その後離婚し、親権を争うためにもう1人の男に弁護士役を頼む。

 そして、ロシア人の場合。女は愛していない方の男と結婚し、3人で果てしなく嘆き悲しむ。

 ――このオチには、妙に納得させられる。ロシア文化を語るキーワードの1つである「共苦」が、ここには表れているからだ。この言葉については、また別の機会に論じることにしたい。

 この小話は、ほかにもいろいろな国民の出てくるバージョンがある。ちなみに、日本人の場合はどうなるか。

 男2人は、女をどう扱えばよいか、東京の本社におうかがいを立てるのだそうだ。