アメリカでは「トランスジェンダー・ブーム」と呼ばれる現象が起きている(写真:AP/アフロ)アメリカでは「トランスジェンダー・ブーム」と呼ばれる現象が起きている(写真:AP/アフロ)

「トランスジェンダー当事者に対する差別を扇動する」として、米ジャーナリスト、アビゲイル・シュライアー氏のノンフィクション本の日本語訳を扱う書店に放火を予告する脅迫メールが、今年3月末、書籍の版元である産経新聞出版や複数の書店に届いた。

 この書籍は『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』というタイトルで今年1月に発売される予定だったが、強い批判を受けて版元のKADOKAWAが発売を見合わせ、販売の権利を引き継いだ産経新聞出版から、4月3日に『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』のタイトルで発売された。現在もこの本を店頭に並べることをためらう書店は少なくない。

 トランスジェンダーを不当に差別するような、根拠のないことが本当に書かれているのだろうか。この本の監訳を担当した精神科医で昭和大学特任教授の岩波明氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──先生は、この本の監訳を担当されていますが、本書を読んで、どのような感想をお持ちになりましたか?

岩波明氏(以下、岩波):この本はとても重厚な内容の一冊です。医学的・科学的に調べ尽くした上で、客観的な視点で、アメリカで起きているトランスジェンダー・ブームについて記述していると思います。

 本の中には、たくさんのインタビューなども含まれていますが、医学論文などもよく読み込んでまとめられており、医学総説(Review)のような構成になっている。それが、この本を読んだ私の印象です。

──かつて「性同一性障害」と呼ばれた「性別違和」は、自身の性別に激しい不快感を抱き続けるのが特徴で、おおむね2歳から4歳にこの感覚が発現し、思春期にこの感覚が顕著になることもある、と本書の中で書かれています。また、そうした性別違和を感じる人のおよそ70%は子どもの頃に認識し、そのような状態に悩まされる人は人口のおよそ0.01%で、そのほとんどが男児でしたが、この10年ほどで状況が激変し、西欧諸国では「トランスジェンダー」を自認する思春期の少女が激増しているともあります。今何が起きているのでしょうか。

岩波:「性別違和」や「性同一性障害」という特性(症状)については、基本的には生まれつきのものであり、多くの場合、就学し始める段階ではすでに、本人はこの違和感を認識しています。ところが、この本の対象である性的違和を感じる人々は、その感覚を思春期以降になって持ち始め、突然「自分はトランスジェンダーだ」と気づくのです。

 本書にも書かれていますが、これには思春期の女性特有の不安定さが重要な要因として存在し、それを解消する一つの手段として「トランスジェンダーが用いられた」と考えられます。

 実は、似たような現象が以前にもありました。この本の中でも少し触れられていますが、いわゆる1980年代後半から1990年代に多発した「偽の記憶事件」や「偽りの記憶事件」と呼ばれたものです。この時は、患者の抱える精神的な問題の要因は過去の虐待経験だと考えられました。

 一昔前の境界例(※)などに分類される(主に)女性が、カウンセラーを訪れ、そこでいろんな質問をされたとします。そこで、たとえば「幼い頃に近親者から虐待を受けたことはありませんか?」とカウンセラーが尋ねると、最初はそのような記憶は見当たらないのに、何回か同じ質問をされているうちに虐待の体験を“思い出し”、ありもしない虐待の記憶を患者が語り始める。

「その虐待体験こそ、あなたの精神的な不調の原因ではありませんか」と話が展開され、さすがアメリカというか、加害者とされる人が訴えられて刑事事件に発展するところまでいってしまうことまで起きました。このような何の罪もない人が有罪になって刑務所に入る「偽の記憶事件」が1990年代に多発したのです。

※境界例:境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)とも言う。精神的に不安定で、自傷行為などを含む問題行動を起こして周囲を困惑させたり、操作したりするパーソナリティ障害の一種。最近では、双極Ⅱ型障害やADHD(注意欠如・多動症)の一部ではないかという議論もあり、必ずしも疾患単位とは認められない説もある。