お先真っ暗な勝山を救った義理の兄の一言

篠原:紛らわしいのですが、もともと二人は「ヤンキー・インターン」というサービスを展開していた株式会社ハッシャダイに所属していました。実は、全国の学校を回る活動は、そのハッシャダイ時代に始めたことです。

 この講演事業を主軸にしたいと考えた二人が、いわば、スピンアウトする形で立ち上げたのがハッシャダイソーシャルです。

 こうして2020年3月に活動を始めましたが、間もなく新型コロナのパンデミックが始まり、学校を回る活動はほとんどできなくなってしまいました。それでもめげずに活動の幅を広げた結果、学校でのワークショップやオンラインの自己探求プログラム、18歳の成人式などを手がけるまでなりました。

 最初は二人で始めた活動でしたが、今では教育や貧困・格差問題に関心のある20代や30代の人たちが集まり、いろいろな形で彼らの活動に参加しています。ハッシャダイソーシャルの社員になる人もいれば、仕事をしたり大学に行ったりしながら活動に関わる人もいます。そのような形で、活動がどんどん大きくなってきています。

──ハッシャダイソーシャルを立ち上げる前に、勝山さんと三浦さんが所属していた株式会社ハッシャダイとは、どんな会社なのでしょうか。

篠原:ハッシャダイを立ち上げたのは、久世大亮さんという人です。

 前述のとおり、勝山さんは高校中退後、何もせずにニートのような生活を送っていました。ところが、彼が19歳の時に交際していた女性が妊娠。「彼女と子どもをどうやって養えばいいのか」「高校中退の自分に何ができるのか」と途方に暮れました。その時に、勝山さんに手を差し伸べたのが、彼女の兄、のちの義理の兄になる久世さんです。

 久世さんは、関西の大学を中退した後、スマホや通信回線を販売する営業会社で働いていました。当時はiPhoneが普及し始めた時期で、法人用の携帯をスマホを切り替える会社が増えていました。久世さんが働いていたのも、そういう法人営業を柱にした営業代理店の一つです。

 久世さんは人をうまく使いながら成果を出すのが上手だったたようで、早々にマネジャーになり、その会社の幹部になったそうです。

 この時の久世さんのチームには、インターンなどできていた大学生がたくさんいました。その中には、有名大学の大学生もいましたが、有名大学の大学生だからといって成果を出せるとは限りません。逆に、学歴がなくてもコツコツと努力して成果を出す人もいた。この時の経験を通して、モノを売る力と学歴は関係ないということに気づいたそうです。

 正しく努力できるようにしっかりとサポートしてあげれば、学歴に関係なく人は伸びる──。そんな思いを持って京都の地元に戻ると、妹が妊娠したのに、相変わらずぶらぶらしている彼氏がいた。そこで、一緒に訪問販売で通信回線を売る営業の仕事をしないか?と声をかけたんです。

──勝山さんにとっては救いの神ですね。

篠原:ただ、実際の営業の仕事を始める前はだいぶ大変だったようです。勝山さんがアホすぎて(笑)。