写真提供:共同通信社

 稲盛和夫氏が日本航空(JAL)再建を引き受け、無報酬で会長に就任したのは78歳のとき。東大はじめ一流大学出身の幹部たちが経営方針を決めていたJALの“お役所体質”にメスを入れ、徹底した意識改革を進めていく。わずか2年8カ月でJALは再上場を果たし、JAL社員を「意識の高さにおいて世界一にする」と語った稲盛氏の経営手腕はあらためて注目を集めた。本連載では、『一生学べる仕事力大全』(致知出版社)に掲載されたインタビュー「利他の心こそ繁栄への道」から内容の一部を抜粋・再編集し、稲盛氏が自身の人生と経営について語った言葉を紹介する。

 第5回は「3つの大義がある」と判断して引き受けたJAL再建を振り返る。

<連載ラインアップ>
第1回 稲盛和夫は、なぜ自衛隊の幹部候補生学校に入ろうと考えたのか
第2回 若き稲盛和夫が「会社を辞める」と瞬時に決意した上司の一言とは?
第3回 「給料を上げてくれ」と迫る従業員たちに、稲盛和夫が返した一言とは?
第4回 第二電電(現KDDI)創業時に、稲盛和夫が半年も自問自答した疑問とは?
■第5回 稲盛和夫が指摘、一流大出身の幹部が経営する企業が“お役所体質”になる理由(本稿)

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■JAL再建の鍵は意識改革

一生学べる仕事力大全』(致知出版社)

――「動機善なりや、私心なかりしか」という意味では、JALの再建もよく引き受けられましたね。

 平成22年にJALが倒産した時、「会社更生法に基づく会社再建のために会長を引き受けてくれ」と政府から頼まれました。私自身、航空業界のことは何も知りませんでしたし、多くの方から「あんな巨大な組織の立て直しは絶対に無理だ」「晩節を汚すことになる」と言われました。

 しかし、倒産したJALを救うことには、3つの大義があることに思い至ったんです。

――3つの大義ですか。

 1つは、残された3万2000人の従業員の雇用を守れる。2つ目は、日本経済全体への悪影響を食い止めることができる。そして3つ目は、ANAとの正しい競争環境を維持して、国民の利便性を図る。

 何度も申し上げているとおり、世のため人のために尽くすことが人間として大切だと思っていますので、勝算があるわけではないけれども、必死に頑張ってみようと思ってお引き受けしました。結果として、2000億円に迫る利益を出す会社へと生まれ変わり、再上場を果たすことができたわけです。

――JAL会長就任2年目の年、盛和塾での講演を聴かせていただいて、私は2つの言葉に感動しました。1つは「JALを社員の意識の高さにおいて世界一にする」。やはり社員の意識を変えることが改革の第一歩だったのでしょうか。

 そのとおりです。着任してみますと、JALは役所と同じでした。東大をはじめ優秀な一流大学を出た幹部10名くらいで構成される企画部というところがありまして、そこがすべての経営方針を決めて、あらゆる指示が出されていく。

 その連中は現場経験のない人間ばかりだったもんですから、私は企画部を廃止して、現場で働いたことのある人たちを幹部に引き上げました。その典型がパイロット出身の植木(義晴)君を社長に抜擢(ばってき)したことです。

 そういう中で、私は従業員の皆さんに一所懸命いろいろな話をしました。特に、JALは倒産後も便の運航を止めることなく、更生に入りましたから、倒産したことを実感できていなかったり、潰れても誰かが何とかしてくれるという意識の従業員が多かったんです。

 ですから、「私はたまたまお世話にきたけれども、皆さんが目覚めて立ち上がり、自分たちで会社を立て直そうとしなければ誰もできませんよ」と、再建の主役は自分自身であるという当事者意識を植えつけていきました。

――もう1つ感動したのは、当時79歳の稲盛名誉会長が「私はいまも、ど真剣の毎日を生きている」とおっしゃったことです。

 あの頃は毎日夜9時、10時まで食事を取らずに仕事をして、終わった後に近くのコンビニに行って、おにぎりを2つ買ってホテルの部屋で食べるというのが普通でしたね。

 また、会議の場も真剣勝負でした。幹部から個別の案件について提案を受ける時、私は資料の中身はもちろんのこと、その人間の心意気もよく見ていました。気迫や情熱のない者に対しては、最初の数分で「もう帰りなさい。君の話には魂がこもっていない。私と刺し違えるつもりで来なさい」と突き返すこともありました。