訪中した国連人権高等弁務官とビデオ会議を行う習近平国家主席の映像(2022年5月25日、写真:ロイター/アフロ)

(川島 博之:ベトナム・ビングループ、Martial Research & Management 主席経済顧問)

 毎年夏になると渤海湾に面した保養地、北戴河(ほくたいが)に中国共産党の現役指導部とOBが集まり、話し合いが行われる。これは水泳好きの毛沢東が夏になると避暑をかねて北戴河に滞在し、そこでお気に入りの幹部と密談したことが起源とされ、俗に「北戴河会議」と呼ばれる。

 その内容が公表されることはないが、秋以降に行われる人事や政策の骨格を決めるものとされる。今年(2022年)は秋の共産党大会で習近平国家主席が続投するか退任するかを決める年なので、特にこの会合に注目が集まっている。

 そんな北戴河での会合を前にして、にわかに李克強待望論が語られるようになった。それは習近平の続投に対する批判と言ってもよいのだが、少し前までは習近平が3期目に突入することは既定路線とされていた。ここに来て変化があったのだろうか。本稿では中国政治の底流から、習近平続投について考えてみたい。

李克強待望論は「牽制球」

 結論を先に言えば、長老たちによって習近平続投が阻止されることはない。長老たちが一枚岩になって習近平を辞任に追い込むようなことは起きないだろう。