「働き方改革」の広まりを背景に、多くの企業が従業員の労働時間の是正に取り組むものの、それを業績向上に繋げられないケースも少なくない。働き方改革を「企業の成長」に直結させるには、どのような視点や施策が必要なのか。経済産業省で健康経営に関するさまざまな施策を進める藤岡雅美氏に、働き方改革を業績向上に繋げるポイントと、健康経営によっていかに「企業の市場価値」が高まり得るかを聞いた。
働き方改革の本質は
「経営の改革」
――長時間労働の是正をはじめとした働き方改革を、企業の業績アップに繋げるには、何が必要でしょう。
[藤岡氏] 働き方改革と並行して、企業の経営戦略そのものを変革することが、重要なポイントになると考えています。
当然ながら、ただ従業員の労働時間を減らすだけでは、企業全体の生産量も減ってしまいます。従って、労働時間を削減して成果を上げるためには、社員一人ひとりの生産性を高める必要があります。そのためには働き方を一律に決めるのではなく、従業員それぞれが自分に合った働き方を選べることが肝になるでしょう。
同時に企業としても、事業内容や業態を新しい時代に見合ったものへと変換し、これまでより大きな「付加価値」を生み出すことが重要です。そうして従業員一人ひとりの成長の方向性と、企業の成長の方向性が重なり合うことで、働き方改革が業績向上という目に見える成果に繋がるのではないでしょうか。
「長時間労働の是正」というテーマをボーリングに例えるならば、一番手前のピンを倒すことに過ぎません。それを皮切りに従業員の働き方はもちろん、企業経営のあり方そのものを変革していくことが、働き方改革の本質だと捉えています。
――倒すべき「2本目以降のピン」として、どんな取り組みが考えられるでしょうか。
[藤岡氏] 個々の生産性を上げるにあたり、近年は仕事や会社に対する愛着心・熱意である「エンゲージメント」が注目されています。日本でもエンゲージメントに目を向ける企業は少なくありません。しかし、残念ながら米・Gallup社が行った調査によると、エンゲージメントが高い社員の割合において日本は139国中132位という結果が出ています。今後日本でも、企業と従業員の成長のベクトルをすり合わせて高いエンゲージメントを育んでいくことが、大きなキーワードの一つになるでしょう。
また、従業員のメンタル面も含めた健康管理にとどまらず、健康の実現を通して個々のパフォーマンスを最大化すること。それこそが、働き方改革を含めた健康経営で目指すべきゴール地点だと考えます。
――健康経営を業績の向上に繋げている国内事例には、どんなものがありますか。
[藤岡氏] 形だけの健康経営になってしまうケースも少なくない中、従業員の健康状態が、プレゼンティーズム (*1) などの生産性やエンゲージメントとどう関係するかをきちんと測定してPDCAを回しているような企業も存在します。こうした取り組みは素晴らしいと思います。最近は、デスクやチェアなどの設備が変わることで、生産性がどう変わるかを測る取り組みも見受けられます。
(*1) 出勤していながら、心身の健康上の問題でパフォーマンスが上がらない状態のこと
本質は
「企業が従業員に
興味を持つこと」
――従業員の健康状態を着実に改善へとつなげるためには、どのような視点が必要でしょうか。
[藤岡氏] ある小売企業は、睡眠の摂取状況とKPIの達成状況などの関係性を分析しながらPDCAを回し、いかに従業員に良い睡眠環境を提供するかを突きつめています。このように「従業員のパフォーマンスの向上」を目的とし、経験則に頼るのではなく実測データを活用しながら取り組んでいく健康経営は、まさに私たちが見すえる健康経営の形とも重なります。
――では、リソースが足りないなどの理由で、そこまで本格的な健康経営施策が行えないという企業は、何をするべきでしょう。
[藤岡氏] 健康経営の中身を紐解くと「個々のパフォーマンスを高めるための資源として、健康を活用すること」となるでしょう。従って、一元的なやり方を押し付けるのではなく、従業員一人ひとりに見合った健康サポートが大切になる。そして一人ひとりに見合った健康サポートを実現するためには、「企業が従業員一人ひとりに向き合うこと」が必要です。
それを踏まえると、あらゆる健康経営に共通するファーストステップは、経営者なり上司が「従業員に興味をもつこと」になります。興味をもってこそ、その従業員がどんな状態であり、どうすればパフォーマンスが高まるかも見えてくるわけですよね。
従業員一人ひとりに向き合う方法はさまざまです。人事面であれば、コーチングも含めた1on1の面談や飲み会、健康面であれば健康診断や産業医による面接指導などがあります。最近は、それらをサポートするITツールやSaaS・クラウドサービスも充実しつつあります。
――今後の健康経営の枠組みについて、どんなグランドデザインを描いていますか。
[藤岡氏] 健康経営はこの先、マーケット・メカニズム(市場原理)の中に組み込まれていくべきだと考えています。最近はESG投資も活発化しており、環境対策に力を入れている企業は、それを理由に投資家からも消費者からも選ばれる時代になっています。同じように健康経営も、まさしく「ESG」の「S=ソーシャル」のとおり、同じく投資や購入を行う際の指標になってくるのではないでしょうか。
健康経営で
中小企業の弱点もカバー
――中小企業の経営者から見たとき、健康経営への取り組みはどのようなメリットをもたらすのでしょうか。
[藤岡氏] 健康経営の情報開示は、企業価値を高める大きな要因となります。そうして資本市場との親和性はもちろん、労働市場との親和性、つまりは「健康経営に力を注ぐ企業を働き先に選ぼう」という流れも確立されるはずです。
健康経営の考えがマーケットに組み込まれれば、自然と健康経営が「社会常識」ともなるでしょうし、よりスピーディーに柔軟に、あるべき形へと変容し続けるはずです。
――そこに向けて進めている取り組みには、どんなものがありますか。
[藤岡氏] 経産省では2014年度より企業の「健康経営度調査」を行っていて、2021年度は過去最多となる2869法人から回答をいただきました。
そして、その評価結果の開示に同意いただいた2000社分の結果を当省ウェブサイトで公開しています。
評価結果はExcelで公開しているため、ダウンロードしていただければ自由にソートできます。公表した翌日には、証券アナリストの方がレポートを作成してくださいました。メンタルヘルスの観点から企業選びを進める学生が健康経営項目でソートを行い、偏差値の高い中から志望企業を選ぶ、といった使い方も可能です。
こうした流れが進めば、健康経営に対する取り組みで選ばれる企業と選ばれない企業がはっきり出てきて、資本市場や労働市場からの情報開示の要請もより強まっていくはずです。
――そうした情報開示は現状、上場企業が積極的に行っている印象です。中小企業はこうした健康経営のマーケットの流れに、どうコミットしていくべきでしょうか。
[藤岡氏] 労働市場との関係性においては、中小企業のほうが上場企業よりシビアなのではないでしょうか。企業の中身が見えづらく閉鎖的な企業には「ブラック企業なのでは?」といったイメージがつきまといやすい側面もあるので、健康経営の情報開示がより切実に求められてくるでしょう。反対に情報開示がしっかりされていれば、働く本人もその親御さんも、かなり安心した気持ちになれるはずです。
そういう意味で、中小企業は健康経営に取り組み、その情報をしっかり開示することで、労働市場における弱点を大きく補えるわけです。そのように、企業が健康経営の情報開示を“武器”にできる世界が、近い将来やってくるでしょう。それに備え、ぜひ今のうちから、自社の“健康経営力”を高めていただければと思います。