世界で「6億人に水を届ける」ことを経営目標に掲げる荏原製作所は、アフリカ市場におけるポンプ製品のシェア拡大に力を入れている。メンバーの1人は、前職でもアフリカの業務に携わってきた経験を活かし、彼の地で市場開拓に挑む。若い頃は、ブラジルでプロサッカー選手をしていたという経歴の持ち主でもある。アフリカ事業での苦労や熱意に迫った。
サッカー選手から
なぜアフリカ事業へ?
2004年、20代半ばを過ぎた頃、その青年は、プロサッカー選手を引退した。地元・神奈川県の高校を卒業後、単身でブラジルに渡りサッカーチームに所属。それから約7年、現役生活を続けたが、度重なる怪我に泣かされ、引退を決意した。
この青年こそ、いま荏原製作所でアフリカ市場の開拓に携わる市野陽介氏である。しかし、ここに至るまでには、長い道のりがある。
「引退後は、燃え尽き症候群になりながらも、働かなければと就職先を探しました。ブラジルにいる間にポルトガル語を覚えたので、それを自分の武器としてブラジルに拠点を置く日系企業に片っ端から応募しました。100通くらい履歴書を送ったと思います。でも、1社からも内定をもらえず、セカンドキャリアの厳しさを痛感しました。自分は世の中に必要とされていないんだと落ち込みました(笑)」
その後、なんとか日本で仕事を見つけたものの、引き続き語学力を活かせる仕事を探し続けていた。やがてある企業から、市野氏の希望通り、ポルトガル語を必要とする職種の引き合いが来た。勤務地はアフリカのアンゴラ共和国だった。
「アンゴラで天然ガスのプラント建設のプロジェクトが進んでおり、それに関する業務でした。アンゴラはポルトガル語を使うので、通訳や現地の人とのコーディネートをする人材が必要だったんです」
アンゴラの知識もなければ、ネットで調べても情報はあまり出てこない。分からないことだらけだったが、それでも未知の土地へと一歩を踏み出した。
このプロジェクトが1年で終わると、日本での業務を挟み、ふたたびアンゴラに4年ほど赴任。さらにアジアでも1年働いた。
その後、駐在から帰国し日本での職務を担当していたが、心の片隅では海外との接点を求めていた。「キャリアの原点が海外でしたし、海外での仕事の経験とスキルを軸に、自分の強みを生かせる仕事がしたかったからです」これが2019年のことだ。
そんなとき、荏原の人材募集の話が舞い込んで来た。アフリカ市場での汎用品のポンプの販路拡大だという。面白そうだと感じる反面、不安もあったという。経験のない製造業への転職、そして市野氏だからこそ知るアフリカで事業を行う難しさ。その中で結果を出せるのか、弱気にもなった。
「それでも、困難に立ち向かうのが自分の人生だと思っていましたし、今までもそうやって来たのだからと、チャレンジすることに決めました」
2020年4月、市野氏は荏原に入社し、アフリカ事業に携わり始める。折しも、世はコロナ禍になっていた。
南部アフリカでの
市場拡大に挑む
荏原製作所では、世界で「6億人に水を届ける」という経営目標を長期ビジョン「E-Vision2030」で掲げており、アフリカやアジアでのポンプ製品の拡販を目指している。特に市場シェア拡大を目指すのがアフリカだ。
なぜなら、これから人口減少に転じる国が多い中で、アフリカの総人口は増え続け、2050年には世界人口の3割に達するという見込みもある(※国連推計より)。人口の増加に伴い拡大する水需要に応えるため、アフリカでのシェア拡大は、荏原の標準ポンプ事業において重要な戦略の1つだ。
なお、現在は荏原のグループ会社であるEbara Pumps Europe S.p.A.が南アフリカやケニアに拠点を設立し、管轄している。
アフリカ大陸を東西南北4つのエリアに分け、市野氏が担当するのは南部アフリカだ。上述した南アフリカのEbara Pumps South Africa (EPSA)と連携しながら、ポンプを拡販している。
「南部アフリカでは、EPSAのある南アフリカ以外はほとんど市場開拓ができていません。この地域での販売戦略を立てるのが主な仕事の1つです」
アフリカ市場全体の特徴として、「高品質より価格を重視する傾向にあります」と市野氏。そのため、品質はいいが価格が高いというイメージの日本ブランドが市場に入り込むのは簡単ではない。
「経済的に発展している南アフリカは高品質を求めることが多いものの、その周辺国は国ごとに求める要素が異なります。“ただ高い製品”だと思われると興味を持ってもらえないリスクもあるので、国ごとに求められる要素を見極めて提案していく必要があります」
現地への出張も、およそ4ヶ月に一度のペースで行っている。コロナ禍で苦労がありながらも、入社以来、これまでに4回現地を訪れた。
「一度の出張で1ヶ月ほど滞在し、おおむね3つの国を回っています。現地の市場調査のほか、ポンプの販売代理店を回って荏原製品を取り扱ってもらえないか交渉し、反応が良ければ、EPSAにつないでいます」
この地域特有の難しさ。
でも勝機はある
気づけばアフリカとは長い付き合いになる市野氏。しかし、そんな彼でも「この地域で事業を行うのは本当に難しい」と本音を漏らす。
「なかなか物事が予定通りに進まず、すべての対応に時間と労力がかかってしまいます。特に難しいのは、現地の方とのコミュニケーションですね。国民性や価値観が全く違いますから、そこを理解した上で、現地の方の対応力、発生し得るリスクを加味して、全てのプロセスや時間軸を細かく意識して対応する必要があります」
アフリカ市場特有の難しさから、事業進出をしても結果を出せずに撤退を強いられる日系企業も少なくない。しかしそういった中でも、市野氏は過去の経験をもとに、トラブルの起きない組織体制やルール作りにあえて挑む。
「トラブルを未然に防ぐルールの整備や、問題が起きても迅速に対応できる盤石な組織を構築する。それこそがアフリカ事業を成功させるカギであり、私たちが超えなければならない壁だと思っています」
簡単ではないが、勝機はあると市野氏は考える。アンゴラでの業務も、やはり同じ壁に直面し、乗り越えてきたからだ。サッカー選手時代に培った強靭なメンタルと、前職での経験こそが彼の武器であり、ここでも生きると信じている。
荏原のポンプで
お客さまを幸せにしたい
新しい土地で事業を切り拓く難しさを改めて痛感させられるトラブルの連続であっても、市野氏は根気強く解決を目指す。そして、その根気強さの源には、彼のこんな思いがある。
「トラブルが起きてしまうと、お客さまを喜ばせるどころか、逆に迷惑をかけてしまいます。製品を買って頂いた方を幸せにしなくてはいけないと思っています」
そして、彼は次のように語る。
「荏原は“売ったらおしまい”という企業になってはいけないと思います。それは世界共通です。アフリカだから仕方ないで済ませることはできません」
ブラジルでプロサッカー選手として生活し、その後は「困難に立ち向かうのが自分の人生」と、見知らぬ海外の仕事に身を捧げてきた市野氏。そう聞くと、大胆な野心家のような人間像をイメージするかもしれない。
だが、彼が話す1つ1つの言葉は控えめで、きわめて真面目だ。それは「この事業における夢」を聞いたときの返答にも表れている。
「自分としては、まず目の前の課題解決を実現できる体制を築くことが大切です。『小事は大事』という考えで、足元のトラブルをなくし、お客さまにストレスを感じさせることなく製品を提供できるようにしたい。その体制を作り、お客さまに満足していただくことが、のちに荏原の成功につながると思っています」
実のところ、市野氏は自分が今回の取材を受けるべきなのか悩んだという。アフリカ事業における自身の目標に、現時点で到達できているわけではない。そんな自分が表に出てもいいのかと。それでもアフリカ事業を前進させるためには、こういった発信も必要だと思い直したのだという。
誠実かつきわめて実直な人柄の市野氏。
「例えば、前職での経験や人脈が今の仕事にも活きています。以前の職場の人達も、私が荏原でまたアフリカに関わっていると知って喜んでくれて、そこでまた仕事の繋がりができたり。アフリカを経験したことがある人ならわかってもらえると思います」とアフリカビジネスの魅力を屈託なく話してくれた。