今年の1月から、個人のウェブ・サイト(ZEITGEIST https://the-zg.com)を立ち上げて、フリーランスの発言・発信者としての活動を、ささやかながらはじめた。それは、「ZEITGEIST」というドイツ語のタイトルのサイトで、ツァイトガイストと読む。訳語は「時代精神」。その名称に込めた意味合いについてはサイト上の短文を参照していただきたい、のではあるけれど、「時代精神」の探求を掲げた『ツァイトガイスト』に上がっている記事は、いまのところ、さきの北京冬季オリンピックのジャンプ競技で苦杯をなめた高梨沙羅選手の無念をおもって書いたコラム1本と、1月なかばにユナイテッドアローズ上級顧問の栗野宏文さんと東京・神田神保町の由緒正しき古書店が営むラウンジでおこなった「読書と身だしなみ」をめぐるトーク・イヴェントのアーカイヴ動画1本だけである。というように、まだまだこれからというところだとしても、ひとまず、新たなスタートの第一歩を切ったことは切った。
この個人的再出発は、昨年末まで10年間つづけた「GQ JAPAN」編集長としての仕事に区切りをつけてのことである。「GQ JAPAN」のまえには「ENGINE」、そしてそのまえには「NAVI」と、30年以上にわたって、特定の雑誌の編集長としておこなってきた、いわば組織人としての発信とは異なり、ひとりの自由なメディア・ワーカーとして、僕たちがいま直面している時代状況にかかわっていきたい、とかんがえたうえでの再出発である。
シチズンミュージアム
(東京都西東京市)にて
※現在一般公開は行なっておりません。
さて、1987年にデビューした「アテッサ」の欧文表記である「ATTESA」は、イタリア語で「予感」や「期待」を意味する、という。チタニウムという、時計業界にとっては魅力もあるかわりに扱うに難物でもあった新素材の、秘められた発展可能性をとことん追究するというメッセージが、その命名には込められていたはずだ。「錆びにくい」「軽い」「人体に優しい」というこの自然素材のそもそもの持ち味を、シチズンは、はやくも1970年に世界初のチタニウムケースの腕時計である「X-8 コスモトロン・クロノメーター」を発売することによって世界に知らしめた。以来、この素材のパイオニアとしてのシチズンのイニシアチブは、「アテッサ」というブランドを得ていっそう固められ、高度な独自加工技術や関連技術の積極的な開発を促進した。光発電による長時間の駆動を可能にする、「エコ・ドライブ」と称するテクノロジーと電波時計を組み合わせる、という革新をなしとげたこと、さらには念願だったフルメタルケースによる電波受信を可能にしたことなどにより、防水性能や堅牢性を高めただけでなく、デザインの自由度を大きく拡張する地平をきりひらいたことは、「アテッサ」を通じてシチズンが時計の世界になした大きな貢献である。
というように、チタニウム素材の、人間にとっての有用性を高める努力をたゆまずにつづけてきて、「アテッサ」の現在がある。そして、「アテッサ」の、一途な進化の35年のあいだに、世界は激変した。
第2次大戦後の世界秩序の根本構造の象徴であったベルリンの壁が崩壊した(1989)のは、「アテッサ」進水からわずか2年後のことであり、ひきつづいてこんどはソ連邦がその2年後に解体(1991)して、アメリカの著名な政治経済学者のフランシス・フクヤマは、最終的に勝利した民主主義に代わる政治システムはもはや生まれえないのだから「歴史は終わった」と宣言すらしたのだった。にもかかわらず、2001年9月11日の同時多発テロ事件の勃発と、その後の「テロとの戦争」は、歴史の矛盾がいまだ運動中であるばかりか激成されてもいることを僕たちに教えた。
日本は日本で激動にもまれた。バブル経済の高揚とその破綻と、それ以後の経済およびイノヴェーションの全般的な停滞のさなかに阪神淡路大地震(1995)が起き、2009年には、ありえないとおもわれていた自民党の失権があり、そして、さらにありえないはずだった事態が、2011年の3月11日の震災と福島第1原子力発電所原子炉の炉心溶融として発生した。
そのいっぽうでは、90年代後半から本格化した生活と仕事のあらゆる領域でのデジタル化とインターネット革命の浸透によって進んでいたワークスタイルとライフスタイルの変容がCOVID-19によって加速し、デジタル化が、戦争の様態をも変えつつあることは、ウクライナとロシアとの軍事衝突があきらかにしている通りだ。
アテッサの35周年を記念した
フェアレディZとの
コラボレーションモデル
35年前に、「予感」というインスピレーションのもとに「アテッサ」なる名称とともにその歴史を歩みはじめたシチズンのひとつの時計ブランドは、一貫して、より軽く、より使いやすく、より人間と環境に優しく、より美しくあるために自己研鑽し、より自由な生き方を実践し、表現する人々にふさわしい時計たらんとする道を歩んできた。そして、はじめの一歩を踏み出した35年前より格段に複雑さと予測困難性を増した世界に、いまなお生き残っている数少ない長命ブランドたりえたみずからを、あらためて発見している。
もし「アテッサ」が人間ならば、この激動の35年のあいだに、自分が磨かれて成長できたことの理由はなんだろう、と頭をひねっているかもしれない。ただよりよい時計であろうとして、当たり前のことを当たり前にしてきたに過ぎないのだから――、と。けれど、「アテッサ」よ、それがきみの成長といまの洗練ぶりの理由なのだよ、と僕はいいたい。
僕たちはいま、パンデミックや気候危機や戦火のまっただなかにあって、多すぎる人が理不尽な死や別れや悲しみや苦痛や煩悶に苛まれていることを知っている。そのいっぽうで、人間の気高さとはどういうものかを身をもって示したし、示している多くの人がいることも知ることができた。どんな時代にあっても、人間的に生きることは可能であるばかりか必要である、ということを、僕たちはいま、あらためて学んでいるのだとおもう。
時計づくりの現場にあっても、メディアにおける発言者の現場にあっても、そのことを忘れないでいることは、時代をこえた時代精神であるべきなのだ、と最後に確認して、「アテッサ」の35周年への、はなむけの辞としたい。
鈴木 正文
1949年、東京生まれ。大学時代に東大安田講堂に立て籠もり逮捕された。1983年に二玄社に入社し、1984年『NAVI』の創刊に参画。1989年から同誌の2代目編集長。自動車雑誌でありながら、政治色を持ち込むスタイルで名物編集長となる。2000年に『ENGINE』(新潮社)を創刊。自動車のほか、明確に時計とファッションをターゲットとした編集を行う。2012年からは『GQ JAPAN』(コンデナスト・ジャパン)の編集長に就任。2021年12月に退任後は、フリーのジャーナリストとして、活動中。
頑丈にして軽く、金属アレルギーを起こしにくいスーパーチタニウム™のボディに、電波塔やGPS衛星から情報を受信し、正確な時刻やカレンダーを表示するこの時計は、光に当たるだけで自らが駆動する動力をまかなう。ストレスフリーなこの時計の名は「シチズン アテッサ(以下、アテッサ)」。アテッサは今年ブランド誕生35周年を迎えた。誕生した1987年は、日本の経済がまさに上昇気流に乗っていた時代。国鉄が民営化し、JRが誕生。上場したNTTからは携帯電話が初めて発売された。スポーツ界ではF1日本グランプリが開催、テニスの有明スタジアムも完成している。当時の日本は、新しいことを始め、新しいものをどんどん作っていこうという気風があった。
アテッサはそんな時代に、シチズンが、自然とテクノロジーの両立を模索し、ローンチした新しい腕時計ブランドだ。イタリア語で“期待”とか“予感”という意味をもつアテッサは、時代の流れに乗るのではなく、少し先を見据えたものづくりをアイデンティティとする。それは、シチズンという会社が、創業時から持っていた考えでもあるという。
アテッサは一貫してチタニウム素材にこだわり続けたブランドだ。チタニウムからは、軽く、錆びにくく、肌に優しい時計を造ることができる。その一方、加工は困難だ。シチズンは独自の技術を育み、このチタニウムから革新的な時計を生み出し続ける。そして、電波時計や、GPS衛星電波時計など最先端機能を常にそこに投入している。アテッサの歩みを見れば、シチズンのイノベーションの歴史がわかる。
そして忘れてはいけないのは、時計は技術だけで成立することはないという事実。最新鋭の技術の搭載と同じかそれ以上に、数々の困難に挑戦したのが、そのデザインだ。制約とその打破の歴史であろうアテッサのデザイン。それをもっともよく知る二人のキーパーソン、デザイナーの井塚崇吏さんと商品企画の杵鞭朋敬さんに、このブランドに託された想いをうかがった。
外装素材としてはめずらしいチタニウム
1987年に登場したアテッサのファーストモデルだが、まず目を引くのは、もちろん、外装素材として、チタニウムを使用しているということだ。
「シチズンには、常にお客様にとって、より良い時計を作り続けるというモットーがあります。そこがものづくりの原点であり、着用しやすいとか、着けていて心地よいというユーザビリティをとても重視します。その観点で時計を進化させていくには、機能面を担うムーブメントの改善だけでなく、外装のデザインや素材の探求も不可欠です。だから、開発当時はチタニウムだけではなく、いろいろな素材を試していたようです」(井塚)
数々の素材のなかから選ばれたチタニウムには、軽く、錆びにくいという特性のほかにも、採掘に大規模な環境破壊を伴わないという、自然とテクノロジーの両立にピッタリな特徴がある。埋蔵量は多く、数万年は枯渇しないということも理由のひとつだったようである。
さらに肌にも優しい、つまり、人間に優しい素材であることも、シチズンには見逃せない要素だった。
しかしチタニウムは、18世紀に発見されたものの、加工が難しいことから200年くらい手付かずの鉱物として扱われていた。それが1960年代にジェットエンジンやアポロ計画の宇宙船に使用され、注目を集めた。ただ、その時点でも難削材に分類されるほど加工が難しく、高性能を求められる場合など、限られた用途でのみ使用される素材だった。シチズンはその素材を、時計の外装に採用したのだ。
高度な切削・研磨加工の難しさへの挑戦
時計においては、まだ現在のようにチタニウムを高度に切削・研磨加工する技術がなかったので、プレス加工で成立するケースデザインにする必要があった。もちろん、シチズン独自の表面硬化技術「デュラテクト」も開発されていなかったので、色調もチタニウム本来の色に近いグレーがかったものであった。
「発売当時の商品を見ると、デザインの制約が多い中で試行錯誤していたのがよくわかります。当時の技術ではプレス加工のみのためシャキッと切り出したシャープな加工は難しいので、全体的に丸いラインになっています。また、メッキを施すこともできませんでした。それでも装飾性を高めるため、バンドの一部に金メッキされた真鍮素材のパーツを使用したり、文字板のデザインで装飾性を高めたりすることで、チタニウムの未来的なイメージを表現しています」(井塚)
チタニウムケースにおけるデザインの制約からある程度解放されるのは、2000年代に入ってからになる。
「2000年頃から切削、研磨加工の技術が向上し、チタニウムだからと言って、制約をうけることがなくなっていきました。加工面での制約から解放され、それまでできなかった形状など、デザインの幅が広がっていったのです。この頃のアテッサは、一般的な四つ足ラグのケースデザインは少なく、どちらかと言うと、ちょっと未来的な、ケースとバンドのアウトラインに一体感のあるデザインが多いようです。シチズンのチタニウム加工技術の高さを生かした「直線的でシャープなライン」というアテッサのコンセプトがデザインに活かされていきます」(井塚)
外装の進化だけではなく、その間にムーブメントにも新しい開発要素を加えていく。1995年にローンチしたアテッサには、駆動系にシチズン独自のテクノロジーが投入されている。光発電「エコ・ドライブ」である。クオーツ式ムーブメントを搭載している腕時計には電力が必要で、電池交換が不可欠だった。その概念を変えたのが「エコ・ドライブ」。太陽光や室内の光を受けることで、内蔵されたソーラーセルが発電して時計を動かすというものだ。さらには、余った電気を二次電池に蓄えるので、一度フル充電すれば光のないところでも長時間動き続ける。
続いて、1999年にはエコ・ドライブ電波時計のモデルがラインナップに加わっている。10万年に1秒の誤差と言われる原子時計を元に送信される標準電波を受信して、自動的に時刻やカレンダーを修正する電波時計は、まだこの時代、電波受信を時計ケースの金属が邪魔してしまうという技術的制約があったため、ケースサイドに設けた受信部のカバーは樹脂製とせざるを得なかった。その後2003年に、アンテナと受信回路の改善により、世界初のフルメタルケースの電波時計が実現する。
こうして先端の素材、テクノロジーが搭載され創られていったアテッサ。制約を乗り越えることで育まれたデザインが、受け継がれている。
イタリア語で“期待”、“予感”
「アテッサという名前には、イタリア語で“期待”、“予感” という、先進性に対してのシチズンの思いが込められています。外装のチタニウムも、ムーブメントもシチズンで作った実用時計としての先端技術は積極的にアテッサで使うようにしています。それは、アテッサが最先端技術のショーケースだからではなく、お客様にとってメリットがある技術だからです。光発電「エコ・ドライブ」は光を電気に変えて時計を動かすことで、電池切れによって急に時計が止まってしまうことや、定期的な電池の交換が必要ないという技術です。さらに、時間やカレンダーの修正も必要ないようにと、電波時計やGPS衛星電波時計が生まれました」(杵鞭)
そして、二人が外装の話で、何度も口にするのが「直線的なデザイン」。
「私たちはアテッサブランドを35年積み重ねていく中で、チタニウムの仕上げやデザインする力も同様に培ってきました。見た目のデザインでは素材の特性上柔らかく、丸くなりがちなチタニウムにシチズン独自の加工技術を加えることで直線的でエッジの立ったデザインも可能になりました。そもそも自然界に存在する物は基本的に曲線で構成され、直線はほぼ存在しないと言われています。直線というのは人の手を加えないと生まれないもの。アテッサが積み重ねてきた先進的なテクノロジーを表現するための直線美はもちろん、直線が織りなすシャープなデザインを身に着けることで、着ているシャツの襟をシャキッとただすような、そんな前向きになれる活力を与えたいという思いで取り組んでいます」(杵鞭)
スーパーチタニウム™の登場が
デザインを自由に
井塚さんがアテッサの担当となったのは2008年から。この時点では、チタニウム加工の技術は充実していて、加工の技術的な限界でデザインが制約を受けるストレスはあまりなかったようである。
「私がアテッサのデザインを担当するようになってからは、「デュラテクト」のバリエーションも増え、使えるカラーも多いし、ミラーやヘアライン仕上げも、ほとんど制約なくできています」(井塚)
そんな井塚さんがアテッサで最初に手掛けたのが2009年のワールドタイマーだった。ディスク式都市選択機能が搭載され、世界の時刻を把握できるモデルである。多機能がゆえに複雑化しがちな操作だが、これは、リューズを1段引いて小窓にある都市名を変更するだけで、時分針とカレンダーがその都市の時差に対応した日時を表示する、という画期的なものだった。
井塚さんは、1970年代のシチズンのワールドタイマーにインスパイアされ、特徴のあるトノー型のケースシェイプをベースに、アテッサの先進性を感じさせる、ワールドタイマーを「現代版」としてブラッシュアップさせた。そして、光を透過させるという難しい課題を持つエコ・ドライブの文字板とも格闘しながら、モノトーンのシンプルなワールドタイマーを完成させた。
高機能とデザインの両立の難しさ
井塚さんが特に難しかったと話してくれたのが、2015年に発売された「F900」と「F150」というGPS衛星電波搭載モデルだ。
「GPS衛星電波のムーブメントに合わせると、どうしてもケースサイズが大きくなってしまいますが、GPS衛星電波搭載でありながら、なるべく小さく、薄く見え、スピード感のあるデザインを目指しました」(井塚)
設計値で限界のある部分は、デザインによる視覚的効果でカバーした。
「ケースサイドに斜面加工を加え稜線の位置を操作することで、サイドから見た時の寸胴感を軽減し、よりスマートに見せました」(井塚)
そして、腕時計は着けている本人から見える角度だけではなく、どこから見てもバランス良く見えることが重要なのだと、井塚さんは話す。
「腕時計は、実際に装着していると斜め上から見るシチュエーションが多いと思うのです。他者から見られる場合は、電車の吊革に掴まっている時など、ケースサイドを見られることが多いです。だから、どこから見ても隙がないように、実際のサイズよりもシャープにカッコ良く見えるように、常に頭の中でシミュレーションしています」(井塚)
現在は、基本的に3DCGでデザインされており、コンピューター上で一番綺麗に見えるラインを探す。
「3DCG上でシミュレーションして絵を描いたら、そこに色を塗って、金やミラー仕上げのバランスなどを吟味していきます。3Dなので、回転させながら形状を確認しています」(井塚)
このような工程を経てスーツやジャケットに合う、多機能かつシャープなアテッサのデザインが生まれるのである。
新しくACT Lineが誕生
実際の厚さよりも薄く見せるデザインアプローチは、シャープで、スポーティー。洗練されたアテッサのひとつの完成形に辿り着いたといえる。
しかし、それがアテッサの到達点ではなかった。2019年、アテッサに新しいデザインテイストが加わる。「ACT Line」である。
2017年頃、杵鞭さんが感じた、街を歩く人々の服装の変化から構想が始まる。
「この頃は、アスレジャーがトレンドになり、スポーツシーンと普段着の境目がなくなっていった時期でした。最近はビジネススーツにバックパックを合わせるのが定着しましたよね。コートもスポーティーなダウンジャケットを着ている人が増えました。それで、新しいビジネススタイルにマッチし、オンでもオフでも着けられるビジネスウオッチが欲しいと思ったのです」(杵鞭)
よりカジュアルでスポーティーな方向を目指した「ACT Line」は、力強くアクティブなデザインにシフトしていく。
「最初は、今までの方向性を否定されたようで、少し抵抗がありましたが、時代のニーズに見事にマッチしましたね」(井塚)
この企画を聞いたとき、今までのアテッサと異なる方向性に井塚さんは、少し面食らったようだ。それでも試行錯誤を繰り返し、今までのアテッサのテイストは残しつつも、より時代にマッチした「ACT Line」が出来上がった。
かつてアップルコンピュータを率いたスティーブ・ジョブズは、デザイナーに対し、多くの課題を突き付けたそうだ。それを乗り越えたからこそ、世界を席巻する商品が生まれた。デザイナーの発想は、もちろん重要だが、しっかりとマーケティングして企画した杵鞭さんたちの存在は、「アテッサ」の飛躍に大きく貢献している。実際、このACT Lineは発売後、市場でも高評価で迎えられる。また、新しいデザインにより若い世代の購入者も増える結果になった。
フェアレディZとのコラボレーション
そして、アテッサの挑戦し続ける姿勢、高い技術力、1秒にかける想いと、日産『フェアレディ Z』の挑戦の歴史、スポーツカーとして磨き上げてきた技術、妥協しないこだわりという想いがシンクロし、『シチズン アテッサ』ブランド誕生35周年記念限定モデル第1弾が誕生した。
画像に使われている車両はNISSAN ZまたはフェアレディZ プロトタイプとなっており、一部日本仕様とは異なります
コラボレーションモデルは、スポーティーなACT Lineのケース形状に、新型「フェアレディ Z」のディテールを随所に取り入れている。ベゼルの色や文字板が注目点だ。
「まず、注目したのは色でした。青と黄色の2色。その色をアテッサに入れたときに、どうなるのか。そして、『フェアレディ Z』の細部の写真を見せていただいたときに、シートがグラデーションになっているのが印象に残ったので、そのデザインを黄色のモデルの文字板に採用しました。青のモデルはサーキットのアスファルトの色を再現したきめ細かい微妙な色の文字板にしています。試作を何度も繰り返し作りあげたものです」(井塚)
ボディーカラー「イカズチイエロー」をイメージした差し色を使った「AT8185-89E」は、ケースやバンド、文字板、時分針、インデックスの全てをブラックに統一。漆黒に走る、雷を思わせる、疾走感のあるデザインに仕上げられている。文字板には、特別仕様車のシートに取り入れられているドットデザインが採用されている。
一方、「セイランブルー」のボディカラーをイメージした差し色を使った「AT8185-97E」は、アスファルトをイメージしたマットブラックの文字板に、シルバーの時分針とインデックスをアクセントにしたクールなモデルとなっている。
両モデルともにタコメーターのレッドゾーンをイメージした赤い秒針を備え、リューズに「Z」、裏蓋には「NISSAN」のロゴが刻印されている。
継承したい新しいものを生み出す文化
「フェアレディZ」とのコラボレーション以外にも、スーパーチタニウム™という独自の技術を通じて民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」を支援するなど、アテッサのアプローチは多様だ。
35周年という節目を迎えたアテッサだが、今後はどのような方向で、新作を発表していくのだろうか。
「様々な情報があふれる現代において、時刻は必ずしも腕時計で把握するものではなくなりつつあります。そういった意味で腕時計は必需品ではなく、より嗜好品に近い感覚になっていくと思います。アテッサの武器はやはり「スーパーチタニウム™」製であること。シチズンには常に挑戦して新しいものを生み出すという文化がありますので、デザインの面での新しい見せ方で次の進化を目指したいです。また、情緒的な価値も、より一層大事になってくると思います。お客様の生き方に重なるようなカッコ良さ、人生を前向きに楽しむワクワク感みたいなものを感じてもらえる商品づくりを続けていきたいと思います。今年35周年という区切りではありますが、決してここが到達点ではありません。目標のまだ中間地点ぐらいという感覚です。技術もデザインも、もっと突き詰めてお客様に多彩な選択肢を提供できるブランドになりたいです」(杵鞭)
付け加えるならば、今回の取材を通じて感じたのは、自由な気風で製作が行われているということだった。井塚さん、杵鞭さん、という年齢も背景も違う二人が、自由に意見をぶつけあう。テクノロジーや新規性の背後にある、自然や人間への優しさ、ユーザーの目線に立った発想は、この空気感がなければ、結局、絵空事におわってしまうのではないか? 井塚さんにとっても、杵鞭さんにとっても、自然や人間への優しさ、ユーザーの目線に立った発想は、当然のものとして共有されていると感じられるのだ。
これが、シチズンの社風、なのだろう。見ていると、この先も魅力的なモデルを発表してくれそうな雰囲気が伝わってくるのである。
注:文中に出てくる世界初は、いずれも発売当時のものです(シチズン時計調べ)