1988年頃、キャリア4年目、5年目というあたりで海外遠征をしました。それまでの日本のプロレスというものは、道場論や格闘論がまず土台にあり、その上でお客さんを楽しませるという姿勢でした。 でも、俺が遠征で行った時のアメリカには、まだ道場論や格闘論にあたる部分はそれほどなく、ラグビーやレスリングなどいろんなスポーツのトップどころを集めて、興業のシステムに組み込ませているという感じでした。 当時の日本のプロレスは、まず戦い方を学び、それからいかに痛みや喜びを表現するかというところに終始していた。それに対して、アメリカでは戦い方を考える部分は選手にお任せだったけれど、会場に入ったお客さんたちをいかに
プロレスラー・蝶野正洋が今だから語る、闘魂三銃士の素顔と戸惑い
常に状況を分析して立ち位置を見極めてきたヒールレスラーの告白
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