文化4年(1807)12月、幕府からロシア船打払令が発令された以降、日本近海からロシア船は影を潜め、その代わりにイギリス船が日本近海を脅かし始めた。いよいよ、産業革命をいち早く成し遂げて、帝国主義的な国家となって世界に植民地を求め、各地に進出を始めた大英帝国の登場である。 文化5年(1808)、イギリス軍艦が長崎港内に侵入し、ナポレオン戦争で敵対していたオランダの商館員を一時拉致して、オランダ船の捜索をしたフェートン号事件が起こった。また、文政元年(1818)には、イギリス商船ブラーズ号が日本との交易打診のため、浦賀に来航する事件もあった。 その後も、事件は続く。文政7年(1824)には、イギ
初めての攘夷実行から薪水給与令へ、ペリー来航の衝撃を和らげた契機とは
幕末維新史探訪2023(22)鎖国はどのように変化して幕末に至ったのか③
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