江戸幕府3代将軍・徳川家光の4男として誕生した徳川綱吉。 綱吉は、次期将軍となる兄・家綱を支えるために、父・家光のすすめで儒学、朱子学を学び、これが後に5代将軍・綱吉が目指した、武力に頼らず徳を重んずる文治政治の礎となる。 将軍批判が御法度だった江戸時代だが、綱吉の醜聞は当時から世間に広く知られていた。 父・家光が30歳を過ぎても男色に血道を上げていた一方、綱吉は男女ともに交わる二刀流であった。 女性では大奥の女中だけでなく家臣の妻や娘のほか、綱吉が好意を寄せた女性に対し手当たり次第、欲情の赴くまま立ち振る舞った。 3代将軍・家光が死去し、長男・家綱が江戸幕府4代将軍に就任するが、家綱には跡継