日本の「お・も・て・な・し」は、すっかり薄汚れたレガシーになってしまった。東京五輪の一連の談合事件を見ていると、「おもてなし」という言葉が後ろめたいものに思えてくる。 そもそも「おもてなし」は、世界の中心で叫ぶような言葉なのか。相手にとって心地いいことを、さりげなく行うのがおもてなしなのでは。「感動させよう」という魂胆が見え見えのもてなしに、人は心を動かされない。 これについては500年くらい前、茶の湯の大成者・千利休が、用意周到な茶人にカマボコでもてなされ、シラケてしまったエピソードが有名だ。「作為的なもてなしは、感動できしまへん」と、利休が言ったとか言わなかったとか……。 この利休と似た経