尾張・織田信長と三河・徳川家康(当時は松平元康)の同盟「清洲同盟」で、両者は面会していなかったとする説が有力である。このあたりインターネットでも最新の説がどうかは紹介されているようなので、私からさらにその実否を唱える必要はないと思う。 この同盟に関しては、徳川家康の編纂史料で最古のものとされる『松平記』(全六巻)に次の説明があり、概ねこの通りであったと考える。 織田信長と徳川家康は、「互いに起請文を書き、(これを)取り交わし(て)和談あい済み」とあるように、水野信元が仲介して両者の起請文を交換するだけで成立したようである。水野信元は、家康実母の異母兄であり、以前から今川家を裏切って織田家の陣営