建保7(1219)年1月27日、鎌倉幕府3代将軍・源実朝が暗殺された。犯人は、第2代将軍の源頼家の遺児、公暁(こうぎょう)である。 公暁の幼名は「善哉(ぜんざい)」という。善哉は幼くして父を亡くすと、12歳のときに鶴岡八幡宮の別当である定暁のもとで出家。僧侶となって「公暁」の法名を授けられている。 また、公暁の身を案じた北条政子の計らいによって、頼家の弟で第3代将軍である源実朝の猶子となった。つまり、公暁にとって実朝は叔父であり、養父にあたる。その実朝を公暁は暗殺したことになる。 どうも父・頼家の死を「実朝による陰謀だ」と誤解し、実朝を殺して自ら将軍になろうとしたらしい。なぜ、公暁はそんな思い