鎌倉幕府の第三代将軍である実朝には、子がありませんでした。一方で実朝は、官位の昇進にたいへん執心していたので、あるとき大江広元が「あまりに急な昇進はよくない」と諫めました。ところが実朝は「源氏将軍は自分の代で絶えるのだから、せめて高い官位に登って名誉としたい」と答えた、という話が『吾妻鏡』に出てきます。 この時代は、身分不相応の高位につくと災いがふりかかる、と信じられていました。一方で、人の名前は、最終的についた最も高い官職によって記憶されます。たとえば頼朝は右近衛大将に任じられたので、死後は「右大将家」と呼ばれました。実朝も最終的には右大臣に任じられたので、こんにちのわれわれも「右大臣実朝」