梶原景時が討たれてから3年後の建仁三年(1203)4月19日。頼朝の弟で僧籍にあった阿野全成(あのぜんじょう)は、突如として謀叛の嫌疑で逮捕され、ほどなく斬られました。 鎌倉幕府の中で、全成がどのような立ち位置だったのかはよくわかりません。史料の記載が少ないためです。もちろん、僧侶ですから仏事などには与っていました。また、僧侶なら読み書きができますから、文官的な立場で頼朝や頼家を陰ながら補佐する場面もあったのかもしれません。 とはいえ、目立った事績が記録されていないというのは、やはり地味な存在だったからでしょう。こうした事情を踏まえて、『鎌倉殿の13人』では何ともビミョーなキャラとして描かれて
北条と比企の権力争いの犠牲になった?阿野全成の生涯と斬られた理由
鎌倉殿の時代(30)全成はなぜ斬られたのか
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