急死した頼朝の後を継いで鎌倉殿となった、若き頼家。鎌倉幕府の正史として編まれた『吾妻鏡』を読むかぎり、頼家は政務に積極的な姿勢を見せていますし、各種の行事も怠ることなく、文化事業などにも力を入れていた様子がうかがえます。 でも、残念ながら頼家の意欲は空回りしがちで、多くの御家人たちの信頼を勝ち取ることができませんでした。背景にはもちろん、ドラマでも描かれているような、北条氏と比企氏との権力争いがありました。ただ、それだけではなさそうです。頼家は、どこで間違ったのでしょうか? 『吾妻鏡』によれば、安達景盛の妻を見そめた頼家は、配下の御家人に命じて景盛の屋敷から妻を拉致させたことになっています。若