織田信長は、岐阜城を制圧すると、印文を「天下布武」にすることにした。 その真意は、過去には「日本全土に武を行き渡らせる」という意味で受け止められていた。 日本を武力で統一するとする解釈も人気であった。 しかし、信長は「天下布武」の印文を押した書状を、足利幕府再興に熱心な上杉謙信にも送っている。さらに言えば信長と謙信は同盟の関係にあった。 なのに信長がこんな印文を使うのはおかしいだろうという指摘があり、以来「天下布武」の意味が問い直され、今では「畿内京都に幕府を再興します」と読むのが妥当だという解釈がほとんど定説のようにされている。天下とは畿内京都、武は幕府を意味する言葉だというのが、2年ほど前