とりあえず、真否未詳の通説を話の主軸に置いて述べていこう。 北信濃の海津城(貝津城。現・松代城址)は武田信玄が取り立てた平城である。 川中島一帯の支配力を強めるため、築城したというが、その狙いは北の越後にある上杉謙信に対する備えであった。 信玄と謙信はもう何年も信濃の地をめぐって衝突を繰り返してきた。そのたびにお互いが領有権を主張するかのように、旭山城、葛山城を取り立て、和睦して破却するなどしてきた。 これを見かねた将軍足利義輝が、永禄元年(1558)、両者に停戦を求める。義輝は謙信に贔屓しようとしたが、信玄は見返りとして信濃守護職を要求。将軍がこれを許す形で、川中島をめぐる攻防は一件落着した