ドラマのタイトルにもなっていた「鎌倉殿の13人」。すなわち、北条時政・北条義時・安達盛長・三浦義澄・和田義盛・梶原景時・比企能員・足立遠元・八田知家・大江広元・三善康信・中原親能・二階堂行政の13人です。 では、この「十三人の合議制」とは、どのようなものだったのでしょうか? まずは、鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡(あづまかがみ)』をひもといてみましょう。 頼朝が没して頼家が鎌倉殿を継いだのは、1199年(建久10/正治元)正月のこと。それからほどない4月12日。御家人たちからの訴訟を頼家が直に裁断するのをやめ、上記の13人が相談して決めることし、それ以外の者は関与させないようにした、と『吾妻鏡』