今回は、鎌倉幕府による支配の根幹をなした、守護・地頭制度について考えてみます。 1185年(文治元)鎌倉の頼朝は、逃亡した義経を探索するため、後白河法皇に迫って各国に「惣追捕使(そうついぶし)・地頭」を設置することを認めさせます。このときの「惣追捕使・地頭」が、実際にどのくらいの役割を果たしたのかについては、専門家の間でも議論があります。 ただ、これが後の「守護・地頭制」のベースになったことは、まちがいありません。実際、現在の歴史の教科書では、「守護・地頭制」のベースができた1185年(文治元)をもって、鎌倉幕府成立の年としています。では、守護・地頭とは何でしょう? 一般に地頭とは、貴族や寺社