いまの大半のメディアが取り上げる「小山田圭吾」問題は、基本的なピントがずれています。特に私が40年来関わってきた欧州由来の芸術表現倫理から一番まずい点が、ほぼ完全にスルーされている。今回はその点を取り上げたいと思います。