慶応3年(1867)5月の四侯会議後、薩摩藩は小松帯刀を中心に、西郷隆盛・大久保利通が藩を代表して、長州藩との連携による武力発動路線(「小松・木戸覚書」、いわゆる薩長同盟)による周旋を開始した。