元治元年(1864)7月、禁門の変において、徳川慶喜の抜群の働きで長州藩は撃退され、その余勢を駆って第一次長州征伐が計画された。しかし、将軍家茂は江戸から進発せず、一方で幕府は、長州征伐の総督に慶喜が就くことを許さなかった。