外側から見ると窒息しそうに見えるが、軍艦島こと端島は意外なほど整備されており、人が往来する十分なスペースがあった。島には病院があり、お産婆さんがいたし、寺もあった。食堂や映画館だけでなくパチンコもあった。島の平坦な部分は炭鉱のための施設である。限られた残りの空間に住居を建て、人を住まわせる技術は、並大抵ではなかっただろう。戦前は3軒の遊廓があった。
「地獄の島」の汚名を着せられようとしている軍艦島
日本人と韓国人の労働者は運命共同体、虐待や虐殺などなかった
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