この記事ではまず、森発言をめぐるジェンダー議論が、近年顕著になってきた五輪の政治化の流れの中で起こった必然であったことを明らかにする。次いで、「私」の至上性を主張するジェンダー論と、「公」の重要性を説く共同体論の対立が、オリンピックという国際舞台においてどのような前提とロジックで展開しているのかを分析し、女性の社会進出が突き付ける「日本の選択」を読み解く。