日本が帝国憲法や教育勅語、日清戦争、日露戦争と第一次日韓協約と進めて行く歩みは、ハワイの事例を熟知していた伊藤首相によって「併合策」が強引に推し進められ、第2次日韓協約で実質的に保護国化、そして1910年8月の日韓併合に至ります。
教育勅語制定の背景にあったハワイ王国の滅亡
不平等条約から滅亡へ至った王国史が劇薬を作らせた
2017.3.28(火)
伊東 乾
Premium会員登録のご案内
Premium会員の特典
- プレミアム限定の記事配信
- プレミアム専用記事レイアウト
- 印刷に最適な画面提供