集団的自衛権の行使容認は、本当に「多少の犠牲」ですむのだろうか。ベトナム戦争やイラク戦争を思い返せば、自衛隊の参戦が「多少の犠牲」では済まないものになるという予想は容易にできる。
拙速な新安保法制、将来に禍根を残さない議論を
「普通の国」を目指しても普通にはなれない日本
2015.5.18(月)
高成田 享
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