ノートの片隅にメモした携帯電話の番号やメルアドを手がかりに連絡を取ってみると、6人のうち2人が南相馬市に帰り、2人が依然山形県で生活していた。残る2人は「元の避難先よりは近いが、南相馬市からは離れた」場所で生活を再開していた。
街の“回復”と進まない除染
「原発難民」再訪記(その1)
2013.7.2(火)
烏賀陽 弘道
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